藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

コロナ契機

*[次の世代に]自由への戦い。

尾崎豊の歌ではないが、自分たちがどれほど「自由を奪われること」を嫌がるのか、ということがコロナのおかげでよく分かる。

自分などは外出がそれほど好きではないが、それでも息苦しい。

自分たちには経験はないが、今が戦時下とか占領下の雰囲気に似ているとすれば改めて「自由」ということがとても有難いことに気づかされる。

 

そしてよくよく考えてみればコロナじゃなくても、自分たちは「案外拘束されていた」ことも見えてきた。

仕事とか人間関係とか、いろんな柵(しがらみ)とか。

 コロナ禍を景気に働き方を見直そう、というのはオフィスワーカーの世界では当たり前になっているが「史上最も分業化の進んだ」今、「これまでのサプライチェーン」から外れた生活を考えてみるにも、いい機会になりそうだ。

 

例えば「老後」と言われるような世代になって、どこでどう過ごすのか。

市街地に住むのが果たして自分の選択なのか。

また街中に住んでただ老後を過ごすのか、それとも何かができるのか。

 自分はいわゆる高齢者は、もっともっと働く場所があると思っているので、そんな仕事を作っていきたいと考えている。

コロナを契機に。