藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

苦労を超えて

*[次の世代に]予知能力。

20代や30代には思いもしなかったことだが。

50代になって「新しいこと」をしようとすると、ある感覚がよぎる。

"付き合う重さ"とでも言った感じだ。 

 これは多分歳をとって保守的になったとか、体力が衰えたとかいうことだけが原因ではない。

 

新しいことを「してみた様子」がなんとなく分かるのだ。

そして例えば「新しい出会い」をすることで、そのためにかかるだろうコミュニケーションの苦労とか、お互い理解したり、理解されたり、という「一連の苦労が、なんとなく感じられてしまう」。

 

ともかく、どんどん出会いを増やして「数を頼んで何かを得る」というというやり方は若い人たちのやり方である。

新しい人にはどんどん会うが、付き合う人は厳選する、という感じだろうか。 

 まったく新しい異分野の仕事に、魅力を感じないわけではないがその反面、その新しいことに「どれほどの情熱が必要か」がなんとなく、事前に感じられてしまうから。

 

そういえば七十を超えて、なお元気な先輩の恋愛観とどこか似ている。

「重さ」が勝つようになったら、いよいよリタイアの兆候だということかもしれない。

 

若い人と話をするのは面白いが、まあまあ大変だ。