*[次の世代に]新しい組織。
コロナの騒動がなければ、自分たちは「先進国で"ある程度の自由"の中で暮らしている」と、ことさらに意識することもなかったかもしれない。
「街中でお金を稼ぐことを主にして働く」というのが一般的なスタイルだが、果たして「そういうこと」が本当に自分のやりたいことだったのか。
これまでは、多分「定年などでリタイヤするまで」はあまり考えられることがなかった話、なのじゃなかろうか。
六十を過ぎて「終わってから振り返る」という昭和ノスタルジーはよく耳にする話だ。
令和の若者が、そんな幻影を見ているとしたら実に気の毒だ。
後から気づくのではもったいなさ過ぎる。
なんとなく「こんなバターンの人生ならいいかも」というお手本の型が多様になりつつある。
いや、もうお手本なんてないという方がいいかもしれない。
「既製のパターンとは決別する」というくらいに意識しないと、ステレオタイプの引力はとても強いから、どうしてもそっちへと引っ張られる。
義務教育も大学も「学びの道はいつでも、何でも」選択肢を増やして、「制度ではなく本人の意思」を評価するような仕組みになってゆくと思う。
そうした価値観を早めに取り入れた組織が、人気になっていくのではないだろうか。
"偏差値教育"というのが古(いにしえ)の言葉になる日はそう遠くないだろう。
(つづく)