*[ウェブ進化論]人生将棋。
藤井聡太さんの活躍などを見ていて、将棋という「ルールの中の勝負」が、まるで自分たちの日常にも当てはまるように感じた。
自分たちの生活の中にもたくさんのルールがある。
法律とか慣習とか礼儀とか。
基本、そのルールを守って生きている。
将棋は「お互いがルールを守りながら競い合う」競技だ。
出だしの陣形が良かったとか、あるいは決定的な悪手があったとか。
形成が変わる場面があり、それを生かしたとか生かせなかったとか。
それって自分たちの人生宛(さなが)らだ。
実は自分たちは、一生を通して「将棋のようなもの」をプレイしているのかもしれない。
でもこの自分たちの“一生将棋“には、いつが始まりでいつが終局なのかという決まりはない。
序盤から熱戦になることもあるし、全然盛り上がらないこともある(嘆)。
ずい分歳をとってからようやく序盤に入るような人だっているだろう。
そしてそして。
何とこの「一生将棋」には相手がいない。
強いて言えば出会った人みんなが相手だろうか。
いやいやいや。
何とこれ、勝負事ではないのだ。
とかく自分たちは「勝ち負け」でモノを判断するが、人生に勝敗なんてあるのだろうか。
そして。
8×8マスの盤面だけですらあんなに読み合いが難しい。
三手先すらわからない。
もし「盤面が無限にある将棋」が人生なのだとしたら、それを読みきることは人にはできないだろう。
いや「読む」という感覚がすでにちょっと違うようだ。
楽しむ、だろうか。
学ぶ、だろうか。