藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自由主義の時代(8)

*[ウェブ進化論]自由は「リモート当たり前」で。

これからの時代は「社会資本主義」とか「新資本主義」ではなく"自由と安定"を求める「自由(安定)主義」なのではないか、という話のつづき。

先日テレワークでの「雑談の大切さ」を書いたけれど、自分たちがこれからは「自由と安定」を志向していくのだとしたら、これからの仕事とかライフスタイルなどは、どんどんそういう方向に向かう のだろう。

例えばテレワークなら、「そのテレワーク環境をいかに生産的で、働きやすいものにしていくか」ということを、みんなで考え工夫をするとかだ。

具体的には「テレワークしながら雑談できる仕組み」とか、「モニターに自分のアバターを常に表示しておいてそこで表情を持たせてみる」などだ。

一見、生産性に関係なさそうだが、「実はオフィスに備わっていたもの」をヒントに考えていくと「テレワークの痒いところ」に手が届くような新しい支援ができると思う。

 

要はこれからは「リモートありき」で「自分たちの自由とやりたいことの両立」を本格的に追求していく時代になるのだと思う。

それにしてもコロナショックがなければ、世界中の働く人たちは「やはり対面したい」という感覚的な理由で、それを「ない前提」では考えようとはしてこなかったことになる。

それがこれからは「リモートありき」の発想になれるとすれば、コロナ禍は本当に悪いことばかりではなく、自分たちの日常を根本から考えさせるような電気ショックを与えたといえるだろう。

 

手痛い疫病だったけれど、実に大きな進歩の機会も与えてくれたのだと思う。