藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

人がする仕事(3)

*[ウェブ進化論]自分の分析。

ロボットやAIがどんどん人の仕事を代替していく世の中で、自分しかできないことは、果たしてあるや無しや、という話。

自分の頭の中から「見聞きしたり教わったりした知識」を全部引いてみるとどうなるか。

空っぽだ。

一歳半で自力で歩いて、それから自分で見て触って確かめたことなんて、一体どれほどあるのだろうか。

自分の頭の中は、学校で習ったことやテレビや漫画や書籍、から得た知識であふれており、オリジナルなものなんてほとんどない。

自分なりに考えたことはあるだろうが、それは「得た知識×得た知識」の掛け算で、どちらも借り物である。

そこにオリジナリティがある、といえば聞こえはいいが、ともかく「自分だけで編み出してもの」なんて何もない。

バランスシートだって教わったものだし、遺伝子そのものなんて写真しか見たことないし、日本史や世界史も聞いた話ばかりだ。

今の自分を構成しているのは、そうした「知識の成れの果て」ともいえる。

 

そんな自分が考えることに、本当のオリジナリティーはあるのだろうか。

そしてそんな自分がとる行動に「自分しかできないこと」はないのではないか。

こうした話は21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考(河出文庫)の序章部分を読んでみればよりリアリティを持って感じることができる。

 

昆虫とか両生類とか哺乳類とかと自分たちは、本当にそれほど差があるのか。

その人間はAIにすべてを代替されない、ということは実は幻想ではないのか。

 

自分って一体何で出来ているのかを考えよう。