藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

仕上げの帯

*[ウェブ進化論]人生の三分割考。

これまで「人生を帯で考える」ということを何度か書いたけれど、それの一番ラフなやつ。

段々と歳をとってくると、こういう「過去の意味」を探して「これからの残り」へと繋げたくなるものなのだ。(嘆)

それはともかく。

 

人生を「三十年の帯」で考えてみる。

つまり、

30歳以下の人は「一番目の帯がどんなものだったか」を考える。

40歳代の人は「二本目の帯の始まり」を想像する。

50歳代は「二本目の帯のど真ん中」を意識し、

60歳代は「二本目の帯そのもの」の意味を総括する。

そしていよいよ「三本目の帯」に移ることになる。

大体はこれで「次の帯」はないのでこれがラストだ。(虚)

 

0 〜30歳の「学生から社会人初期の時代」と、

30〜60歳の「人生の旬を過ごす時期」と、

60〜90歳はいよいよ「仕上げのころ」という感じがする。

そしてこの"三本の帯"を眺めてみると、結局は「三本目の帯のしめ方」が一番大事なのではないか、という気がしてくる。

一、二本目で成功したとか、大失敗したとか、無為に過ごしたとか、考えなかったとかいう後悔は誰にもあるだろう。

 

けれど60歳からの「三本目こそが最後の総括なのだ」と思えば、この三本目でやれることはたくさんある。

 

人生100年時代の「三本目の帯」は案外長く、ここの過ごし方こそが「これまでの仕上げ」なのではないだろうか。