藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

さらに深める

*[ウェブ進化論]知識のミクスチュア。
知っていると言うだけの、知識だけでは意味がない時代といわれてからもう何年も経つ。
まったくで1800何年に革命があったとか、知識そのものだけの価値はほぼなくなっている。

けれどその出来事からその前後に起きた影響や、今日との関係などを考える思考の価値はなくなってはいない、はずだ。

ところがである。

今やネットには、その知識が「かなり分析された情報」もかなり網羅されているので、

そうして「考察されたネットに上がっている知識」を知っている、ということではこれまた大した意味がないことになる。

要するに「知識の混ぜ合わせのレベル」が2段も3段も上がっていると言うことだ。

「たいていの人が考えつくような知識」がすでにネットに置かれているのなら、そこからさらに進めて「その先」を考えないと考えていることにならない。

思考の怠慢、てやつだ。

つまり、どんどんネットで得られる知識を集め、そしてそれらを幾重にも掛け合わせ、いつしか全くオリジナルな考えや論理を作り上げていくのが今の時代の意味だろう。

 

ここでも「高速道路の例え」と同じで、ある程度の先では「考えがひしめき合った」大渋滞が起きているのだと思う。

ニュースなどで、最近モノラルな報道が多いのはこの"大渋滞"のせいではないだろうか。

 

自分なりに考えたいと思う。