藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

継続の日々

*[ウェブ進化論]結局、力をつけていく。
若いころ、特に社会人になる前などは世の中に「どこかに抜け穴」があって、楽してうまいことやれるような道がある、という寓話のような話が実際にあると思っていたものだ。
だから有利な人脈を作るとか、特別なコネクションを仄めかされて「うまい詐欺話」に引っかかる人は、学生でも大人でも未だに引きもきらない。
つまり実は世の中には「当たり前の地道な道しか通じていない」ということを知らなかったのだ。
そして、だから若い時には「うまくいかないこと」に対しても妙に苛立った気持ちになっていたと思う。
若さというのは、そんな甘えた無邪気なものなのだ。
まるで何でも「他人のせいにする」子供のようだと思っていいだろう。
 
それが人生もベテランになってくると、端から「日々の道のりというのはそういうものだ」ということがわかっているから、そういう若さゆえの焦りはなくなってくる。
 
"地道"こそが実は最短の近道であり、その近道を続ければ「いずれ何かの実を結ぶものだ」ということがわかると、地道は「ただの地道」でもなくなってくる。
 
ソワソワせずに日々の最善を尽くす。

急がば回れ」は平安から室町の歌人が武士の戦略を詠んだものらしいが実に名言だ。

 

王道はなく、一歩づつ行くことが最短になる。

いつの時代にも使える諺ではないだろうか。