藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

不偏の講話

*[ウェブ進化論]私の配役。

先日、菩提寺のご住職から聞いた話。

我々は誰もが自分の人生の主人公です。

それは間違いありません。

まずは「自分が主人公の人生」をどう生きるのかを考えてください。

そして…

けれどその人生の「生きがい」は、別に自分が中心にいなくてもいいんですよ。

生きがいを見つけるのに、生きがいを感じるのに「主人公は自分以外の人」でも全然構いません。

人はむしろ生きがいを「自分以外の人のためにする何か」で感じることが多いのです。

あなたがしている日頃の生活は、仕事でも家庭でも「誰かのために」役に立っていますか?

作家や芸術家が作る作品は、後々それに感動した人たちがいてこそ報われます。

あなたを見えるようにするのは、周囲の人たちです。

主人公はあなたの周りの人たちみんなかもしれません。

 

その時、その時の主人公を考えてみてください。

 

さすが坊主、うまいことをいう。

というかこれも仏の教えだというから、自分たちはいかに進化していないことだろうか。

それにしても宗教というものには、不偏の説得力があるものだな、と素直に思った。

 

芝居の俳優にも役割は無限にあり、主役ばかりでは成立しない。

そして主役は本当にやりがいを感じているのだろうか。

ひょっとして"脇役の喜び"みたいなものの方が強いのではないか、とも思った。