藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

悩みの射程(1)

*[ウェブ進化論]信心の効用。

先日、「現代と戦時中の若者の時間をリアルタイムに繋ぐ」という設定の芝居を見たのだが、圧倒的に安全で便利で長寿の現代の人たちの方が、これまた「圧倒的に不安が強い」という対比が圧巻だった。

 

つまり自分たちは「悲惨な出来事があれば、それに感情を奪われて余計なことは考えられない」のに、「余裕の時間」があれば「あることないことを想像し、また他人と自分を比較したりして悲嘆にくれる」という厄介な生き物なのだ、ということを今一度客観的に理解しておいた方が良さそうだ。

 

自分の現状に満足せずの「さらなる成長を志向しての不安」ではなく、「何か他人と比べての不満」というのは解消されることはないだろう、ということは想像に難くない。

 

つまり多くの「現代人のメンタリティ」ではずっとこれからも、何某かの不安からは解放されない、ということをまず認識した方がいいだろう。

そして菩提寺の住職よろしく、あるいは聖職者の説くように「本当にありたい自分のこと」を考えなければ、永遠に餓鬼のような精神状態になってしまうと思う。

 

宗教というのはいろいろあるが、そうした精神の安寧にはうまくすると有用だと思う。

仏教の講話を聞いていると、実に安らかで安寧な気分になるものだ。

あえてそうした時間を作る、というのも現代には有効なことではないだろうか。

(つづく)