藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

着想と現実


夜ではなく朝方にブログとか下書きなどを作成するようになってしばらく経つ。
で端的に言って、何だか面白くない、と思う。
内容に夢がないというか。


最近「そういうこと」に割く時間もなくなっているのだが、それにしても。
そういうことでもないような。


ふむ。
歴史は夜作られる」とは昔の映画のタイトルだが、あれかと。


ふくらむ妄想


例えば特許のアイデアを考えたりして、数人で議論していると、「特にそれが夜」の場合、必ず突拍子もない話に展開してしまう。

「この技術でセキュリティ通信の規格は統一できるぞ」とか
「もはやグローバル・スタンダード疑いなし!」とか言っている。

で、一夜明けて、いろいろと冷静に考えてみるとすでにあるアイデアの寄せ集めだったり、論理的に矛盾があって実現不能だったり、そもそも必要がなかったり(意外に多い)。


特許の要諦は新規性、進歩性、有用性、だが技術とかありき、で考えるとそれを「実務で使うため」の視点が先走りして、必要ないかも?という視点が考慮されなかったりする。

余談だが、携帯電話の「押しつけ的性格」が嫌で、「緊急です」とか「おヒマなら」とか事前にうながしメッセージを流すサービス、などはもう思いついた当初はキャリアが競ってライセンスしにくるゾ!!と一人ゴチていた。


が、すでに有料でサービス化されていたことが判明。有料ゆえにまったく普及していないようだが、特許的にはドッチラケてしまった。


ブログなどでも夜中に、特に酔っぱらって書くと筆がスベることが多い。
明くる朝にハッとして見返したら大赤面モノを書き直したり。


それほど多くの人が見ているわけでもないのに、自分のメディァと思うとそんな滑稽なことをしていたりする。


夜には「明るい夢」を想い、
昼には「きびしー現実」を冷静に見るのがいいのだろうか。


夜の闇に向かっては、我われは何か「カン」を狂わすようである。