藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ブログは役に立っていますか。


長い間、よく続きますね、という声とともに。

ずい分とたくさんの記事がありますが、何かあなたの役にたっていますか?

という厳しいコメント。(汗)

レビューと反省と。


そういえば、と調べてみれば、これまでにブログの更新は800日あまり。
単純に1エントリー30分かけたとしたら、400時間か。


1日8時間勤務の会社で50日分。
ざっと二月半と。


いい大人が二か月もかけて、これだけのものを書いて、本望か、といわれるとつらい。


たとえば、自分が独立した経緯とか、自分の「仕事」というものについての話は「仕事感」などのエントリでほぼ書ききった(それ以降はさほどないが、順次追加している)、という意味では「何らかの整理」にはなっているのだろうが、どうも心もとない。


まあそもそも「日記」的なものをweb上で書いているわけで、それが「役に立っているか」と聞かれても、即座のメリットは感じにくいなぁ、と。


それなら止めてしまおうか、とも思う。
この年になってくると、何に時間を費やすか、いや特に「習慣的な時間」の使い方には結構気をつかう。


たとえばピアノの練習をする、というのは習慣的だが、本当にそんなことに自分などが時間を使うべきかどうか、というのは難しい問題だ。
もっと他に「やった方が有益」なことがある可能性も高い。


ただ日々の「積み上げ」が楽しいから、音楽が趣味です、といってニコニコしてもいられない。


そんな中でのブログ、なのである。

ネットの端っこで


それにしても。
高校生や大学生や、若い人たちから、ブログでもなければ知り合わぬ若者ともずい分交流ができた。
(ただあまり深い付き合いにはならないのは、自分のせいか、ネットというメディアのせいか。ちょっと研究課題である)


厳しい意見をもらうこともあるし、励ましのコメントもある。
何より、自分の意見を書き留め、「あるまとまった」エントリーに仕上げることは何か自分の思考のトレーニングになっているのかも知れぬ、と最近思う。

それは主に「自分を他人視する」とか俯瞰する、とかそんなトレーニングに思えて仕方ない。


ひょっとしてブログの最大の効用は『活字となり、ネット上に誰でもが見られる状態に上がる』という「客観効果」ではないか。

そのためだけに、でもそんな効果は意味のあるものかも知れぬ。
それほど「自分の客観視」は難しいし、第一そんな「機会」が著しく少ないのだ。


そんなことにもここ数年で気づいた次第。
もうしばらくその効果のほどを確かめてみるか。


たった一つのコメントにずい分触発されるのは、まだまだ「客観」でない証拠でもあるような。(汗)


それにしても、妙な媒体だ。