藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

日本再生へのシナリオ。


今月発売の文春に伊藤忠商事会長、丹羽宇一郎氏の記事。
「鳩山さん 経済無策では 国が危うい」とあった。
尊敬する経営者ゆえサッと読ませてもらったが、何点かは共感、いくつかは疑問。


メモ。
現政権の十年後GDP650兆円、名目成長率年三%、は夢物語であること。
2007年に516兆だったものが2009年には475兆に減っているのだ。
なんでこれから十年でウルトラ回復して、185兆も増えるのか、道筋は見えないこと。
丹羽さんは「三度目の失われた十年に突入しかねない」とウォールストリート誌を引いて指摘する。
失われた最初の十年、の最中に社会人になった自分には「三度目の泥沼かどうか」の判断はしにくいが、むしろ「今度は数十年レベルでの縮小」ではないかと思っている。

感じた疑問。


丹羽さんは「輸出の拡大を端緒に、誘発されて内需が拡大してきた」と指摘する。
また日本の優れた高等教育が世界一の品質を持つ製品を輩出した、とも。
そして、事業仕分けによる科学技術費の削減にも警鐘を鳴らす。
またノーベル経済学賞受賞のロバート・ソロー教授の言葉も引き、

経済成長には、労働人口の増加、資本投下の増加、そして生産性の上昇という三つの要素がある。
と説明する。

果たしてそうだろうか。
経済の「数字」の成長という意味ではもちろんそうなのだろう。

問題は行くべき方向が「どんな場面での」経済成長なのか、ということではないか。

いきなり唐突に「次世代エネルギー」で経済を成立たす、というのは誰の目にも現実的ではない。
(クリーンエネルギーの2020年のシェア予測は6.1%だそうである。)
だからといって、中国やインドを主客としたアジア諸国へターゲットを据え、馬車馬に輸出せよ、というのも正しいのだろうか。
この稿で最大に感じた疑問はここだった。


クリーンエネルギーとか、福祉とか観光、健康関連で産業が成り立つ社会になるまでの数十年。
いやもっと原点回帰へ。
クリーンエネルギーと言う前に第一次産業の推進ではないか。
保護ではない、高度化し、品質を高め、サスティナブルにもっとも注意してゆくべきは、我われの食だと思う。
中国は発展著しい、と書かれているが、彼らほど自国の食べ物を信用していない国民も珍しい。
飲み水さえ「有害だ」と平気で言う。


日本の優れた技術は、
第二次産業に向け、また輸出大国を目指す、ということではなく、
第一次産業へ振り向け、安全食大国を標榜するのが筋だと思うのだが。
どうだろうか。