藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

私のお墓。


産経が孤独死老人の墓参についての特集。
論調としては「死んだ家族への関係の希薄化」といった打ち出しだが、果たしてそうだろうかと思う。

国の推計だと、世帯主が65歳以上の世帯のうち、1人暮らしは平成17年は約387万世帯。
25年後には約717万世帯にまで倍増する。

要するに「そういう現象」なのだと思う。
「希薄化」は避けられない。
何せ人口が減少している。
そもそも「孤独死」自体が非常に人間関係の希薄を示す現象である。
その後の供養についても、十分な行き届きがある訳もないだろう。
お墓守り、を云々言う前に孤独死の存在の方がよほど重要であると思う。


「故人と早く縁を切りたいと思っているようだった」というのも、強(あなが)ち批判ばかりされることでもない。
それだけ現実が世知辛い、と思うのは自分だけだろうか。
日本には伝統的に、寺があり、檀家があり、定まった墓地を護る住職と、代々お骨をそこに収める檀家との間の関係が成り立ってきた。


その構図が崩れつつある。
人口も減少し、もう「かつての形式」では経済的にも、時間的にも「生存者側」がこれまでの「お墓」をキープ出来なくなってきているのではないだろうか。
「墓守」を疎む現代人を批判するのではなく、その根源である今の「実生活」や「家族関係」がその「墓守」の源泉になっている、ということを掘り下げなくては、ただの「お墓も悲し」という話で終わってしまう。


粗末にされているのは個人だけではない。
むしろ今を生きる人たちが、故人も悼めぬほどに切羽詰まっているのだろう。
問題はそこにある。
よほど根深いテーマだろう。

【長寿社会の虚実】第3部 悲しみのない死(中) 関わりたくない親族
「部屋はいくらで売れますか」。
女性は喫茶店の席につくと、そう切り出した。


埼玉県南部に建つマンション自室で昨年11月、80歳近い老女が孤独死で発見された。
女性は老女の姪(めい)。
年齢は還暦過ぎ。
伯母の不動産売却の交渉に、関西からやってきた。
孤独死が発覚してから1カ月近くが過ぎていた。


女性の前に座ったのは、埼玉県熊谷市のカヌマ不動産の神沼芳広社長。
同社は不動産の「事故物件」売却支援をしている。
事故物件とは、室内で孤独死や自殺などが起きた物件のこと。


家族がおらず、1人暮らしをしていた伯母は、一昨年8月には死亡していたようだ。
1年4カ月がたった昨年11月、マンション管理会社がようやく異常に気付き、関西に住む姪や警察などに通報したという。


神沼さんがマンションに入った時には遺体は搬出され、荼(だ)毘(び)に付されたあとだった。
「それでも玄関を開けると、なんとも言えない腐敗臭が鼻をついた。目にしみるほどだった」


駅からは徒歩3分。
大型マンションで、住み込みの管理人までいた。
「こんなところでも孤独死するのか」と思ったという。


売却金額を気にする姪の言動は、神沼さんには「『早く伯母との縁を切りたい』と思っているようだった」と映った。
「生前をしのんだり、悲しんだりという様子はみえなかった。こうもあっさりしたものかと思った。やりきれない」


部屋は大手の建設会社が相場より3割ほど安く買い取り、現在は中国人一家が格安家賃で暮らしている。


孤独死に関する統計はない。
だが葬儀業者らの間では、年間で約115万人の全死者のうち、3万人程度が孤独死や遺体、遺骨の引き取り手がないケースだという話もある。


国の推計だと、世帯主が65歳以上の世帯のうち、1人暮らしは平成17年は約387万世帯。
25年後には約717万世帯にまで倍増する。
さらに、高齢化、独身の増加、少子化といった要因が、社会の無縁化や人間関係の希薄化を急速に進めている。


孤独死、引き取り手のない死は今後、確実に増える。
それは「悲しみのない死」が増えていくことを意味する。


姪や甥(おい)といった関係に比べれば、親子関係の方がずっと血縁関係が濃い。
だが、こんな例さえある。


「そちらで遺骨を引き取ってもらえると聞いたんですけど…」。
東京都板橋区の本教寺に、そんな電話がかかってきたのは昨夏。


しばらくして40代半ばの女性が、車で寺に乗り付けた。
「1人で暮らしていた母の遺骨です。『無縁仏』として引き取ってほしい。私はもう嫁いでいるので遺骨を引き取れない」。
葬儀もしていないという。


応対したのは本教寺僧侶の浜島貴一さん。
「供養のお経を上げましょうか」


娘は「いや一切なしで。すぐに供養墓に納めてくれて結構です」。
書類に印鑑をつくと、遺骨を押しつけるようにして10分ほどで帰っていった。


浜島さんは「母に対する追慕の思いは…。『どうでもいい』という感じだった」と振り返る。
本教寺では、この1年半の間に約100体の遺骨を「無縁仏」として預かった。
だが、無縁仏とはいっても、本当に氏名不詳の遺骨は10体ほどしかない。


残る90体は素性がはっきり分かっている。
しかし、親族がいなかったり、受け取りを拒んだりした。
母の遺骨を持ち込んだ娘のように、遺族が「無縁仏にしてほしい」と持ち込むケースもある。
「死者に対する供養の気持ちが、どんどん薄れているのを感じる」と浜島さん。


娘は定められた供養料2万円のほかに、「花代」として5千円を置いていった。
せめてもの救いなのか。
それとも荒廃した人間関係の象徴なのか…。

 

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