藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

オリジナルの価値観。


おそらく、これからの先進国の「座右の銘」となるだろう、この言葉は日本では古よりしばしば用いられている。


同様に考えてみる。
「今どれほど恵まれているか」
「今どれほど幸せか」という観点で自分を見てみる。


今日寝起きする部屋があり、そこにはトイレも風呂もある。
職場には机があり、今日やるべき「業務」も割合はっきりしている。
家族がおり、将来の不安はもちろんゼロではないものの、今生きるのに「重大な懸念」はない。
友人がおり、同僚や上司、趣味の仲間や師もおり、そういう意味の孤独はない。


そうして考えてみると、「無い物ねだり」はいつまでも、その「心の渇き」を癒せないが、「足るを知る」という気になってみると途端に周囲の景色が変わることに気づく。

「となりに芝生」よろしく「僻み根性」で物事を見れば、たとえ宮廷生活でも不満だらけなのだろうし、
「足るを知る」という礼節を身につければ歪曲した自分の価値観は、正しく形を取り戻す。


なので、意識して考えてみたい。
現状に不満を抱く、というのは「今後の工夫を促す」という意味でも、現状打破、創意工夫、という意味でも必要な心構えである。

『現状に決して甘んじない』ということ。

だが、それとは別に(あるいは同時に)「過分を求めない」という制欲の心は、「欲の亡者」にならぬために、絶対に必要な人格ではないかと思う。
「それ」が無いために、心を占有されて取り殺されてしまい、憑き物がついたようになって彷徨う「亡者」は意外に周囲にも多い。


「現状に甘んぜず、だが求め過ぎないこと」というのが、もっとも高次元の精神状態なのではないだろうか。


『言行の一致』こそがバランスをもっとも問われるのである。