藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

未知の甘えに。

属に「自分探し」などと言う。
こういう言葉は、不思議に高度成長期である60年代から80年代くらいにはあまり耳にしなかった。
学生運動とか、終身雇用とか、どの時代にもそれなりにテーマはあったと思うが、やはり、それなりに満たされた時代である「一億総中流」が実現して、そして出現したテーマのように感じている。

進むべき道がGDP成長とか、所得の獲得とか、マイホームとかマイカーとか高学歴とか、「分かりやすい時代」にはあまり「自分探し」をする先輩たちはいなかったのである。
定年になり「燃え尽きた」と放心する人の話はよく聞いたものだが、まだ二十歳を過ぎたころから「自分は何者か」ということを日中から考え、まあフラフラとする余裕ができたのが、今の60歳くらいの年代の人たちだろうと推察する。

また、この年代以下の人たちは、自分も含め「戦時体験」をしていない。
リアルな戦後も知らない。

戦争を知らない子供たちが、いよいよ老人になりはじめているのである。

あらゆる場面に

そうした「新しい局面」に出会って戸惑っているのは人間たちばかりではない。
「経済」というものの存在も揺れている。
今年起きた大震災も、さらに我われに「価値観の内省と再定義」を問うたように思う。

右肩上がりの成長を前提にあらゆる制度を組み、また進むべき方向を提示してきた"政治、政策、ビジョン"というものも、もう「既存の価値観」の上ではもうこれからを語れなくなっている、ということも大部分の人たちが気づいている重要な事実であろう。

豊かさとか、幸せとか、満足とか、教養とか、いわゆる先進国で「ある程度共有されてきた価値観」がいよいよ変化しつつある。

(つづく)