藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

{次の世代に}臆面もなく生きる。

六十、七十になり、そして「その時代」だったからこそ後から語れるレビューがある。

北方 いや、言葉なんか要らなかった、あそこには。まず水が食料が燃料が必要だった。ところがそれが満たされてくると、それだけじゃ人間はだめなんだと、言葉の力が出てきた。だから今回は、“言葉の在り様”がすごく見えた出来事だったと思っています。つまり、人が人で生きていけるものとして言葉の力があるんだ、と。だから小説家というのはどうでもいい商売じゃないかという考え方もあるけれども、本、物語というのはやっぱり大事なんだと改めて思いました。もちろん本だけではなく、音楽、絵画、映画……、すべての創造物、表現物は同じ所にありますよ。

すべての創造物、人間が作り出すものは何なのだろうか。
「ただ生きる」ことが満たされると、その先にある定義はとたんに霧の中に入ったように迷走する。
北方は言う。

つまりね、人間は、臆面もなく生きることが肝心なんですな(笑)。

沢庵和尚の言、ではないが、人はネイティヴに「そのまま生きる」ということも最終的にはテーマになるらしい。
しかし、それに気づくことはまずない。

つねに、自己否定を試み、現状を疑い、冷めた目で自らをみるような境地が、武道にせよ、文学にせよ、宗教にせよ、政治学にせよ、「実は本当に追求したいもの」なのではないかと思う。

まあ、どの道も「突きつめ」までいかないと、その先が見えないのは言うまでもない。
道は長く、一歩づつでしかないのである。


仕事とは生きること。もし仕事を超える瞬間があったらそれを逃すな


滝川 北方さんの歴史大作『三国志』や『水滸伝』や『楊令伝』。あの大長編を書き上げるためには尋常ではない精神力とエネルギーが必要だと思うのですが、北方さんの、作品を完成に導く秘訣とは何ですか?

北方 精神力、根性、義務感、そういうものはいっさいありません。ひと言で言えば“潜在能力”。人間というのは、誰しも必ず潜在能力がある。ただ、多くの人は出していないだけ。でも、自分を追い込んで追い込んで潜在能力を常時出せるようになったら、かなりのものができる。それがすべての創作の本質でもあると思いますよ。例えば俺の場合なら、潜在能力が出ると、自分でも驚くぐらい生き生きと登場人物たちが動き出すし、どんな長いものでも書ける気がする。だから俺は今、全50巻の作品を書こうとしています。

滝川 全50巻ですか!?

北方 『水滸伝』を19巻、次の『楊令伝』を15巻。これから『岳飛伝』を16巻書いて全50巻。実はこの“大水滸伝”構想は、もう十数年前(40代後半の時)に立てたんです。だけど言わなかった。最初から「50巻書く」と言ったって誰も信用してくれないからね(笑)。

滝川 でも、結果は見事、北方さんの頭の中の設計通りになっていますね。

北方 それが潜在能力。あとね、俺は枚数が狂ったことないんですよ。『水滸伝』は19巻で、1巻500枚ずつ書いたんだけど、全巻、原稿用紙の枚数は1枚も狂ってないんです。

滝川 書き終えた後、推敲されても狂わないのですか?

北方 推敲はしません。これは“特技”だと言われてるんだけど、俺の場合、手書きした原稿がそのまま決定稿なんです。ただ、そうなるためにはやっぱり10年ぐらい修行しましたよ。頭の中で落とすものは全部落として、“最後の言葉”だけを選んで原稿用紙に書く、という訓練を徹底してやった。でも今の若い作家はそれをやらない。パソコンで足して足して書いているから、冗長な表現が増えた。

滝川 でも本来は、徹底的に削ぎ落としてひとつの言葉にこだわるのが作家だと?

北方 普通の文章は意味が通じればいいけど、小説の文体は、書き手の鼓動や呼吸、そんなものまでも加わっていなければならないからね。でも、俺も時々、文体が緩むことがあります。そんな時は自分で読んでてわかるから、緩んだなと思ったら、15枚の短編を20本書く。短編というのは大体50枚といわれているから、15枚で書こうと思ったら選べる言葉はひとつしかない。それは非常に難しい作業なんだけど、20本やると文体がぴしっと締まってくるんですね。

滝川 なるほど……。常にそうやってストイックな努力を欠かさないところが、今もなお、潜在能力を発揮し続けている秘訣なんですね。でも、それほど北方さんを仕事へと突き動かす原動力とは何なのでしょう?

北方 やっぱり好きなんだよね。でないと30年間も、年間10冊ずつなんて書き続けていられないよ。もう金も名誉もそんなにいらないし、釣りしたいなぁと思ってるのにサ(笑)。でも、好きな釣りも我慢して小説書いてるんだから、仕事だとか何だという前に「生きることの半分が書くことだ」というところがあるんだね。それでいえば……、去年亡くなった立松和平は学生の頃からずっとボツ原稿の山の高さを競ってた仲間なんだけど、お互い作家になってふたりで酒を飲んでる時に、「俺たち、本当に断崖絶壁の、際どい所をすり抜けてきたよなぁ」と話したことがあったんだよね。ボツ原稿の山を築いて築いて、やっと作家になれた、その後は作家になれたというチャンスを生かす努力を多少はしたけれど、好きなことを職業にしていられるというのはこんな幸せなことはないよなぁ、ってね。

滝川 そんな下積み時代があったからこその幸せ……。では、その“際どい所”のことも、少しお聞きしていいですか?

北方 俺は最初、純文学というジャンルをやってたんです。その時の10年は、それこそ毎日毎日、精魂込めて、命を削って書いていた。ところがノートに荒っぽく、わーっと書いてる中上健次のほうが遥かに何かがあるんです。中上と立松と俺はよくゴールデン街で団子になって殴り合いしてたんだけど(笑)、中上健次という作家は本当に乱暴な小説の書き方をした。しかも書いているのは人間の汚濁です。人間の醜さ、どろどろの汚濁。だけど、そこからなぜかひと粒だけ、この上なく美しい真珠をつまみ出す。それが“文学”なんです。だから中上健次というのは文学をやるために生まれてきた人間なんですね。中世から連綿と続く血、人間と社会が持ってしまった醜さや差別……、そんなマイナスを全部背負って生まれてきたんだけど、ある時、それがでっかいプラスに変わる。そういう天才が、芸能の世界にも文学の世界にもいて、中上もそのひとりなんです。

滝川 すごい……、それはある意味、凄まじいお話ですね。

北方 だから、芸術や文学と狂気は紙一重のところがあって、やっぱり中上もボロボロになって死んだでしょう? 最後の作品なんかは見るも無残ですよ。中上には、『岬』『枯木灘』という作品系列があって、「その先にもう一作書けば徳田秋声みたいに文豪として名前が残る、もう一作書きたいんだ」と言ってたけど、結局、46歳で「癪だよなぁ」と言って死んでった……。で、話が戻ると、そんな中上と比べたら、俺には書くべき文学が全然ないということに痛いほど打ちのめされた。そして、のたうちまわって苦しんで、初めて物語というのが見えた。俺には文学はない、だが、物語=小説はあるとね。

滝川 すると、中上健次さんと出会って、改めて北方さんの物語が生まれたと?

北方 ある意味、中上が教えてくれたね。でも、中上は俺に教えようとしたんじゃなくて、俺が文学を辞めて小説を書き始めた時は、散々、「裏切り者」って言ってたんだけどサ(笑)。

滝川 でも、北方さんの物語は今、本当に多くの人の心の糧になっていると思います。そんな北方さんは、今回の大震災で、金子みすゞさんの詩集がベストセラーになるなど、多くの人に改めて“言葉の力”が見直されたことについては、どう見ていらっしゃいますか?

北方 いや、言葉なんか要らなかった、あそこには。まず水が食料が燃料が必要だった。ところがそれが満たされてくると、それだけじゃ人間はだめなんだと、言葉の力が出てきた。だから今回は、“言葉の在り様”がすごく見えた出来事だったと思っています。つまり、人が人で生きていけるものとして言葉の力があるんだ、と。だから小説家というのはどうでもいい商売じゃないかという考え方もあるけれども、本、物語というのはやっぱり大事なんだと改めて思いました。もちろん本だけではなく、音楽、絵画、映画……、すべての創造物、表現物は同じ所にありますよ。

滝川 北方さんは避難所の方からもお手紙をもらったとか?

北方 そう、「『楊令伝』の中の河水が氾濫して、すごい洪水が起きる場面がそっくりでした」ってね。その後、「僕は助かりました。助かった時に何をしなければいけないか。流されて死んだやつを忘れない、まずそれが大事だ。ちゃんとこの命を大事にして生きていく、それが第二だ、ということがこの小説にはちゃんと書いてありました」と。それは嬉しかったですね。

滝川 それは北方さんの物語に、まさに人の生きざまが見事に書かれている証ですね。あとゲーテ読者に代わってぜひお聞きしたいのですが、40、50代で男性が仕事でやっておくべきことは何だと思われますか?

北方 仕事は生きることそのもので、できるだけ幸せ。もし仕事を仕事と思わない瞬間があったらそれを逃さないこと。がーっとのめり込んでると、何かふっと真実に突き当たることがある。あと、40、50のやつによく言う台詞は「人の言うことは聞くな、相談するな、自分で決めろ」。だって自分で決める年頃だろ(笑)。あとね、俺は同じ年の医者に「忌々しい」と言われるぐらいどこも悪くないの。こんなに葉巻も酒も飲んでるのに、ちょっと血圧が高いだけ。船に乗って、サプリ飲んで、1時間早足で歩いて、ちょっと筋トレをやってるぐらいなのにサ。

滝川 だから、医師にしてみれば忌々しいぐらい健康だと(笑)。でもそれは作家の宮部みゆきさんが言われたように、北方さんが「心はいつも半ズボン」=心が少年なのも大きいのでは?

北方 俺はね、還暦の時に今後は自分の3分の1、つまり20歳のコとしか付き合わないと決めたんだけど、口説く時は「好きだ」と言わず、「タイプだ」と言い、別れる時は「ごめん、タイプじゃなかった」と言うの。女のコは当然怒るけど、「悪かった、煮るなり焼くなり好きにしてくれ」と開き直ると、最後には呆れて許してくれる。つまりね、人間は、臆面もなく生きることが肝心なんですな(笑)。