藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

文句を言うのに長ける人。

政治とか行政とか。
職場とか家族とか。
日常に何か問題が感じられたとき、自分は「どちら側」にいるだろうか。

自己顕示欲が強く、そして頭の良い人ほど「批判サイド」に回るような気がする。
問題がなぜ起こったか。
どこの誰に責任があるか。
そもそもの体制に欠陥があった。
などなど。
いわゆる「溜飲を下げる」状態。

そして、それらはいちいちごもっとも、だったりする。
それはそれで正しい。
世相批判は、問題点を炙り出す、という意味では意味があるのだろう。
だが「そこ」に情熱をがけず、「次の仕組み」を考える人もいる。

「批判と構築」といえば異質なものだけれど、批判的な見方を喧伝するのではなく、じっと内面に沈めて「その奥にある構造を見据えている人」のようなイメージ。

政治や生活などの「人的な問題」を「科学的に見る目を持つ」という感じだろうか。
リーダーの資質というのはそういうことではないかと思う。

批判的な目を持ちながら、表向きに中傷はせず、「次の形」を考える。
パフォーマンスではなく、冷静沈着にいたいものである。