藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

半世紀を経て。

もうすぐ50なので、と思い改めて考える。
十年後は60。
今そのくらいの先輩をみると、みな「アフターリタイアメント」のことが最大の関心事になっている。ということは、自分も十年後にはそうなっている可能性が高い。
はぁ。

十歳の時のことはまあいいとして。
二十歳の時の三十歳。
三十の時の四十歳。
四十歳の時の五十歳。
そして五十の時に思う還暦。
還暦からの七十、とか
七十からの八十とか。

そんな風に、人は「十進法」で自分の人生を区切りで考えたりする。
二十歳の時から数えて、何度も「この先の十年後」はどうなっているのか?と期待と不安を籠めて考えていた。

そして、「どの十年後」も「思わぬこと」というのはなかったのである。

"自然は飛躍しない"

まったく自分たちの人生は、ことごとこ「連続」している。
十年後を突如夢見て、「特別な何か」を期待する気持は、一夜限りの夢を見ているようものである。

つまり現実的に考えるなら、十年後の自分はこれからの「連続のなれの果て」でしかない。
ということは十年後の自分に、何かしら「新しくて、明るいもの」を想像するなら、それは幸いでもある。
そんな「新しくて、明るいもの」はたった今から「自分の目標」にできるではないか。
今よりも、「ちょっと新しく、明るく、そして楽しい」。

そんな将来のために、毎日はどんなことを習慣にしていくのがいいだろうか

そんなレンジで考えると、あまりドラスティックに生活を変えるのではなく、
「少し早起きする」とか「習い事や運動を始める」とか「新しいノートを作る」とか、そんなイベントも無理なく実行できるような気がするのである。

十年後の自分には、もっともっと、いやこれまでの人生でも最大の寂寥感があるはずなのだけれど、できればそれに備えて、色んなことを考えていきたいと思うのである。