藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

驕りは禁物。

糸井さんのブログより。
ツキについて。
ううむ。

これまでの人生で自分も考えた。
「ツキ」はありやなしや。
あるなら「自分はツイてるのか、いないのか。」
あるいは「ツイてるときはあるのか、あったのか。」
そんな「外気」について、ついつい考えてしまいたくなるのである。

それはともかく。
ツキとかギャンブル運、というのは確かにあるのだろう。
でもそれはまったく「持って生まれたもの」とかではなく、その人の性質が培ったセンスであり、それが時々の「確率」に反映されるのだと思う。

負け続けた人がレースの最後で大逆転するのは、かなりの「大穴」にかなりの金額を最後に投じるというある種の無謀さがなければ起こらない。
それもともかく。
その「持って生まれた性格やセンス」が良い人ほど、なかなか大変なことになる。
なぜなら「それ」を生業にしていけるかもしれないから。
全くギャンブル運のない競馬屋さんとかマー雀士、はいないだろう。
持って生まれた才能がして、その本人を迷わせるのである。

自分も「ツキのある男」だったらもっと違う生き方をしていたに違いない。

結局今の結論としては、「ツキのような機運の高低は存在はする。」
外部環境は常に動いているのだから。
だが、[ツキを意識」して自分の行動を決めてはいけない。
能力以上の決断を「ツキ」を理由にしてしまうから。

「今ツイているな」と思う瞬間があればそれでいい。
けれど、「ツイいるからひと勝負」というのは危険なのである。
ツキを自分自身の能力だと思わないこと。

本物のギャンブラーの信条もそんなことなのではないだろうか。

・月が変わりました。
 7月31日から、8月1日になったというだけで、
 なにかが変わるわけはない、と思う人と、
 月が変わったから、ツキが変わると思う人がいます。
 ツキとかって、あるのかどうかも、
 ほんとはわからないことなんですが、
 それについては、よく考えさせられますよねぇ。

 思いこむっていうのは、すごいことです。
 じぶんたちにはツキがない、
 なにをやってもうまくいかないと思っていると、
 やっぱり、そういう動きになっちゃうんですよねー。
 ポジティブ思考だとか、ネガティブ思考だとか、
 そういうことを言うつもりもないんですが、
 「だめだろう」と思いながらやるって、
 やっぱりうまくいく可能性も少なくなると思うんですよ。

 そうかといって、「できる」と思っていれば、
 ほんとうにできるのかと言えば、そんなこともない。
 「できる」といくらじぶんに言いきかせても、
 できなかったという結果を何度も見せられたりすると、
 もう救いがないところまで行っちゃうような気がして、
 これはこれで怖いわけです。
 
 ツキはコントロールできないということは、
 誰でもうすうす思ってることではあります。
 でも、できることなら、
 じぶんの力以上の結果がでますようにと、
 さまざまな「思いこみ」のネタを探したりもするわけで。
 そういうネタのひとつが、
 月が変わったらツキが変わるなんですよね。
 それを言ってたら、ほんとにそうなったっていうこと、
 これまで、何度もあったのも確かなんです。
 
 ぼく自身は、ツキについてどう思っているか。
 これが、ほんとのところ、じぶんでもわからないんです。
 じぶん自身が当事者であることについては、
 ツキなんてものに振りまわされないようにしてます。
 で、じぶんじゃなにもできない野球なんかのことでは、
 月が変わってツキが変わるとか、期待してるみたいです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ツキはお天気みたいなものだから、雨具を忘れないことね。