糸井さんのブログより。
オフは、オンの家来じゃない。
こういう話題を、今社会人になる人たちはよく聞いていて欲しい。
自分も仕事をし始めてよくこのことを考えた。
「食べるための仕事」というのは本当か?
とか
「仕事が趣味」というのはどういうことか?
仕事にまじめな人なのか、あるいは趣味のない人なのか。
そんな数十年を過ごして、その人の人生の価値観とは何なのか?
そんなことを若輩の身でよく考えたものである。
そして、自分で考え込んでも所詮は経験不足。
なので「先輩たちの言動」から何かをつかもうとしていた。
もう当時50、60になる先輩に「仕事」とか「趣味」とか「夫婦」とか「家族」とか「恋愛」とかについて聞く。
これはとってもいい。
今でもそうしたことをしている。
若い人にもよく質問をする。
結局は仕事も趣味もプライベートも「打ち込める」というキーワード一つが重要なのだ、と今は思っているけれど。
OnとOffという二人は、実はどちらもが主役なのだろう。
どちらにも打ち込める対象を持つこと、が充実した生活のコツなのではないだろうか。
達人たちのOnとOffは、限りなく近づいているような気がするのである。
・オンとオフ、という言い方があって、
おなじみのデジタルの世界などは、
このオンとオフの信号ですべてを表現している。
すごいなぁ、とも思うけれど、
そうはいかないぜ、というか、
そうはさせないつもりさ、という気持ちもある。
人間の生活についても、
よく、オンとオフというとらえ方をされる。
仕事の時間をオン、プライベートな時間をオフ、
というような分け方をしているようだ。
ついつい、ぼく自身も、
オンの仕事時間を重要視して、
オフの時間なども、オンの役に立たせようとしてしまう。
しっかり遊んで、フレッシュな気持ちで
翌日の仕事に精を出そう、という発想になることも多い。
しかし、そうはいかないぜ、なのだ。
オフは、オンの家来じゃない。
もちろん、オンもオフのためにあるわけではない。
オンにはオフが、オフにはオンが
どっちも混ざっているというものなのだ。
たとえば、昨日、ひさしぶりのともだちに会った。
いっしょにごはんを食べたり、あれこれ話したりした。
仕事に関わる真剣な話も、たのしくしていたし、
なんの役にも立たなそうな話に、頭もつかっていた。
彼とは、もともとは仕事で会ったような気がする。
しかし、ほとんど仕事で会ったような記憶がない。
この場合は、オフに分類されそうだけれど、
リラックスしているなりに軽い緊張感もあったりして、
オンのとき以上に、考えている質量は大きい。
オフと決めつけたくないのだ。
つまり、どっちだかわからないということにしたい。
いや、もっといえば、オンだのオフだのどうでもいい。
時給のアルバイトとかしている立場だと、
オンはお金もらえて、オフはもらえないのだろうが、
そうでないのだったら、どっちでもいいんじゃないか。
いま、これ書いてる時間でも、オンだとも思えないんだ。今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
たいていの二元論は、互いが含まれているようにも思える。