藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

今年はどんなに

世の中ずーっと「ヘンだな」と思っているけれど、あえてそれを口に出しても唐突だし、また解答もどうもすぐにはなさそうだな、と思うことってたくさんある。
何度か書いたことがあるけど「少子化対策って本当に必要なのかしらん?」とか「二大政党制こそが最も進んだ民主政治である」とか「経済対策ってどこのお金で誰に向けて対策するのだ?」とかとか。

そんな中でも無限緩和とか、国債の買い入れ、とか通貨切り下げとかの金融系のことは、最早一般人には分かりにくい。とても。
投資銀行にいて巨額の収入を得たとか、IPOで株価が数兆円とかいうのも感覚的には「よその世界の話」であると感じているのは自分だけだろうか。

金融は製造とか消費とかの実需と関係しているから余計に分かりにくいけれど、何となくその「浮世の金融」が現実世界からかい離し始めているような気がするのである。
それがどこかの国の通貨危機なのか、日本の国債の暴落なのかは予測しにくいが、ともかく「余分なマネー」の贅肉がそろそろ剥がれてしまうような気がするのである。

よく世界同時恐慌とか言うけれど、でも実経済はなくならないからすぐに生きていけなくなるわけではないだろう。
生きていけなくなるのは「今そういう世界で生きている人」だと思う。
で、いまそっちにいる人はそうなっては自分の糧がなくなるから「そうはさせない」と声高に言う。
見た目は一般人と見分けはつかないし、政治家にもマスコミにも関係者は潜んでいるので表出して喜古てくる声も玉石混交だから、一般の我われはとても迷うけれど、あまり浮ついた考えで「そっち」に手を出さなければそれほどの大騒ぎではないのじゃないだろうか。

バブルの崩壊は三度ほど目にしたけれど、立ち直れないほどの実被害はなかったし(一時的に仕事は極端に減ったけれど)、今度もそんな感じではないだろうか。
「本物」の生活がないところにいくらお金を撒いたところで何か「本物」が返ってくるわけもない。

贅肉が膨れに膨れてガサッと剥がれ落ちる時に備えて、必要な物を必要な人に提供する、という本分で仕事も見つけていけばいい。
流行りものの誘惑の中でいかに自分を保っているかが今年のテーマではないだろうか。