藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

一度きりの人生だから。

誰に頼まれたわけでもないブログなのに「こんな記事を」という候補をもらってかなりの数になる。
ちょっと在庫超過で、溜まったまま2年くらい埃をかぶっているものもある。
自分の言いたいことと、他人が聞きたいことって案外違うものである。
それはともかく。

ビジネスで大成功した経営者よりも「楽に生きている人」が気になる。
例えばお寺の住職。
おそらくはそんなに気楽なことばかりではないはずだが、その語り口調からは世の中達観し、仏の教えなどが聞けて安心する。
例えば芸術家。
もう自分の思いのままに作品を作り、気に入らない仕事は受けないし、そもそも「食べるため」という概念から離れている。

芸術家、と言われる人には「そういう傾向」が比較的強い。

つまりは「浮き世」の理屈よりも自分の意思に忠実に生きている、ということだ。

「これとこれを仕入れて一緒に売れば一割は儲かる」というような話とは対極的か。
ところが。

友人の実家の農家を訪ねると、そこには「楽に」というか忠実に、飾り気なく「朴訥(ぼくとつ)」に生きている人が普通にいる。
毎年毎年、同じ作物を植え、育て、肥し、収穫する。
拳の1.5倍はある玉ねぎ。
赤いにんじん。今年が一番。
それがずっと続くことに、何の疑問も持たず。
自分が育てた作物を、毎年の自分の子供のように送り出す。

楽しているのではなく、達観している。
というかそれが生活そのものなのだ。
農家も武道家も芸術家も学者も、そして商売人も。
「永遠の姿勢」を身につけた人の姿形はどこか似ている。

どの分野にしても、自分もそんな存在になれるだろうか。