藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

そしてどうなりたいか。

ほぼ日より。

「人といるとき、だれより低いものでありなさい」

吉本隆明氏のあの難解で複雑な著作の果てにこんなにも分かりやすく、馴染める表現で後進に語っていた。
若者へは特に慈愛の感じが強かったと思う。

どうしたいのかを、忘れるな。
どうなったら、みんながうれしいのか。
それを忘れたら、うまく行っても、ただの勝ち負けになってしまう。

「うまく行ってもただの勝ち負けになってしまう。」
まるで宮本武蔵の遺訓のようだ。

勝負は時の運。
本当の実力があってこそだ。

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

「人といるとき、だれより低いものでありなさい」
とは、吉本隆明さんの娘たちに言ったことばだった。
たしかに、ぼくの見ていた吉本さんは、
花見やら海水浴のような場でも、
僕(しもべ)のように、その場の人たちに仕えていた。
ぼくは、それを率直にかっこいいなぁと思って、
できるだけまねをしようとこころに決めた。
できているかどうか、むろんあやしいものだけどね。

「ほぼ日」という会社(法人)が、
どんな人格でありたいかを考えるときに、
吉本さんのことばはとても参考になった。
「ほぼ日」の乗組員の「人とのつきあい方」にも
「こうありたい」を考えた。

それを3項目にまとめたメモがある。

(1)敬意を持って接する。

相手の地位や年齢に関わりなく、
  いつでも謙虚であれ。
  馬鹿にするくらいなら、最初からつきあうな。

(2)損をさせても、してもいけない。

相手を高くあつかうあまりに、
  言いなりになってはいけない。
  そのためにはアイディアが必要になる。
  どちらにも、よろこびがあるように。

(3)どうしたいのかを、忘れるな。

いっしょに、どういうふうになりたいのか。
  どうなったら、みんながうれしいのか。
  それを忘れたら、うまく行っても、
  ただの勝ち負けになってしまう。

きれいごとに聞こえるだろうか、そうでもないだろうか。
磨き込まれたものではないけれど、真剣に書いた。
「ほぼ日」新人の乗組員たちにも、伝えておかなきゃね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
こうありたいには(完全でなくても)近づくことはできる。