藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

相続について(4)

*[次の世代に]アホな世継ぎを生まないために。
財産を築く創業者と、相続する側の間には驚くほど意識の差があるという話。
良かれと思って遺す側と、ラッキーと平気な顔でもらう側の大きなギャップがある。
不幸なのは不労所得を得た人がえてして「バカ」になってしまい、深く"その財産の意味"を考えないことだ。
一億円を相続したら、それは「月に100万円、それを9年間くらい貯め続けたものだ」ということを実感させねばならない。
自分の月給が30万円だったら全額貯金しても「社会人の間の生涯賃金」くらいになる話だ。
そんな巨大な富を、軽々しく使うべきではない。
(持ちつけないお金を手にした子供のように)持ち慣れないお金で成金根性になるな、ということだ。
 
数多くの成功者が莫大な財産を家族に遺し、悲喜こもごも(不幸なことの方が多いと思う)だが、これは「遺す側の責任」ではないだろうか。
富を残した人は「その使い途」についても明確に意思表示してから去るべきだろう。
「財産は全て財団に寄付し、〇〇の発展のために使う」とか。
「事業の発展のためだけに使うこと。私用には一切を禁ず」とか。
「起業と増資のためだけに使うこと」とか。
あるいは「一族郎等の生活危機、厄災、病などの救済のためにのみ使うことにせよ」とか。
 
昨今、このように使途を定められる「民事(家族)信託」というのが流行りつつあるが、こうした方法を柔軟に使って、まず相続人が勝手に蕩尽してしまわぬように、遺す側が責任を持つべきだろう。
 
金持ちには金持ちのとるべき責任がある、とはフランスの言葉だったか。
この点では日本はまだまだこれからではないだろうか。