藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

合理性て(1)

*[次の世代に]余裕のない時代。
ほぼ日より。
「生産性」「経済効率」「合理性」と毎日のように口走る。
何やらそういう感覚が染み付いていて、何を見ても「そんなこと」を考えているような気がする。
世の中は日々豊かになっているだろうに、それでもどんどん「そういうこと」は進んでいるようだ。
 
都心の一等地はますますブランド化しているらしく、ますます値上がりしているという。
身近にあった銀座でもこの10年で見違えるほど再開発されて、老舗の大衆店はなくなってしまった。
テナント料もとんでもなく高いというから普通の値段のお店はやっていけない。
地主はそれでもまた「新しく入るテナントがいる」から家賃を下げないらしい。
結果的に街は「高いばかり」「ブランドものばかり」「キラキラのビルばかり」になってしまった。
観光客は来ても、街の魅力はなくなってしまったように感じるのである。
"店子といえば子も同然"とは落語の中くらいしか聞かないフレーズになってしまったけれど、少しは子育て感覚で店を育てる家主さんが増えて欲しいものだ。
一円でも高く、では世知辛すぎる。
いつかはそんな時代がまた来るだろうか。
 
・いま、「ほぼ日」は北青山という場所にある。
近くには秩父宮ラグビー場があるし、
そのとなりは神宮球場だ。
選手ではないけれど、観客としてはうれしい環境だ。
さらに、もうちょっとだけ、そう5分か10分歩くと、
あのオリンピックのメインスタジアムがある。
実を言えば、そういうスポーツの施設があることは、
ここに引っ越してきた重要な理由ではなかった。
周囲に多少でも緑が見えて、交通の便がよくて、
なんとなくあかるい感じがあって、
乗組員全員の顔が見える広さがあって…というような、
わりと実用を考えていたけれど、スポーツ施設のことは、
「そういうのも、いいよね」という程度のおまけだった。
 
それにしても、原宿、青山あたりにずっといるなぁ。
個人事務所の時代からだから、ぼくにとっては、
半生どころではない年月を、ここらで過ごしてきた。
一時、「ほぼ日」をスタートさせるときに、
わざわざ人の来にくい環境に本拠地を移したけれど、
やっぱり青山に戻ってしまった。
「ここにいたほうが、いまが見える」という理由を、
乗組員たちには語ったし、それは事実だと思っていた。
たしかに、青山には世界的なブランドの旗艦店がある。
美容室のメッカでもあるようだ。
しかし…それが「いま」を表現しているかといえば、
「ちがうんじゃないの?」と思えてならない。
ではなにが「いま」かは、わからないのだけれど、
青山にはグッチだヴィトンだといったブランドと、
たくさんの美容室があるけれど、それ以外が空っぽだ。
青山という幻想を当てにして、さまざまな店が開くが、
ビジネス的には、思ったほどの集客も売上もないし、
家賃はめっぽう高いから、かなりの速度で撤退する。
いま、もうすでに青山にいる意味はないのかもしれない。
と、そんなことを考えながら青山にいるのである。
聞けば、N.Y.五番街の老舗なども店を閉めているとか。
やっていけないほど家賃が高くなっているからだという。
 
仕事場のある場所として、青山はどうなのだろう。
冷静に、いまぼくは、理想の引越し先考えている。
いますぐのことじゃないとは思うんだけどねー。
 
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ここに「ほぼ日」がくればいいのにという場所、どこだろ?