藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

知恵の時代に(3)

*[ウェブ進化論]答えのないものだけ。
「手間仕事がなくなる時代」になったらホワイトカラーはどうなるか。
そんな言葉すら陳腐化するかもだ。
ブルーカラーがいなくなるという話なので。
でそのホワイトカラーにも軒並み技術の革命はやってくる。
政治家とか、管理職とか、役所の仕事も激減するに違いない。
むしろ今よりよくなると思う。国民の声を集約して政策を判定していくのなら、ごく小さな政府で十分だろう。
 
究極なくならないものは何か。
"アートの世界"は人の感情的な意味合いで残りそうだ。自分たちは「AIピカソ」には感情移入しないだろう。
他に残るのは"学問"ではないだろうか。
なにをどこまで学び、「何と何の関係をより重視して解釈するか」という部分の自動化は相当に難しいと思う。
いわば「主観の創造」みたいなことになるから。
それでももしその「主観」すら方向付けながら思考するAIが現れたら…
それはいよいよ「思考レベルでは人である」ということになるのじゃないだろうか。
多分自分たちは「そのモノ」とお話ししても、十分に思考のやり取りが可能だという気がする。
コミュニケーション相手として、彼や彼女は「人」なのだ。