*[ウェブ進化論]足りないものの本質を考える。
facebookやGoogleといった巨人太刀でさえ、今後のテレワークについては意見が分かれている。
「やはり人や意見をまとめるために物理的なオフィスのスペースが必要だ」ということらしい。
この度のコロナ騒ぎで、長らく「自分たちが抱いていた幻想」について考えた。
"face to faceが大事"とはどういうことか。
それは「細かな表情が互いに把握できていれば解決する」"画質や質感"のことではないのか。
さらに
互いの"細かなニュアンスが伝わらない"とは何か。
それは「肉声で直接語り合うようなレベル」の" 音質とレスポンスタイム"の問題ではないのか。
昔から「人が自然と交流できるオフィスの導線の確保」というのは、いろんな成長企業で取り上げられているが、それなら「そうした交流が促せるデジタル空間の工夫」が十分できる余地があるだろう。
むしろITを駆使した方が「出会うべき人たちが集う」仕組みができるのではないだろうか。
つまりテクノロジーの精度があと「一、二段階」上がれば、今「デジタルでは物足りない」と言われているようなことは全て解決されるのではないかと思う。
だって、今顔を付き合わせていても、意思疎通のおかしな人たちは一杯いる。
おかしなメールや会議もたくさんある。
むしろデジタルを理由にしていた「コミュ障」の人たちの仕事ぶりが露わになるのがこれからなのではないだろうか。