藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自由組織

*[次の世代に]自由がありき。

自分たちがワクワク、楽しくなるのはどういう場面だろうか。

それは「その先の自由」が見えたときではないかと思う。

どこかの会社の内定をもらったり、公務員試験に合格したりして。

そしてその先に「そこからの自由」をいろいろと想像しているからだと思う。

一方、刑務所には自由はないから、そこにはワクワクしない。(だから刑務所なのか)

 

"自由"というのは自分たち人間には、それほど大事なものらしい。

自由の反対は「束縛」とか「規制」とか「管理」とかだ。

だから「そういうものが極力ない世界」を作れればいいと思っている。

 「自由を最大に尊重できるようなルール」があればいい。

それに比べて、自分が歩いてきた社会人の道は、結構「ま反対」だった。

不正を起こさないための「ルール」とか。

人を信用しないからの「報告」とか。

定期、不定期の「監査」とか。

一部の不心得者に合わせたルールに「大部分の性善な人たち」が縛られているな、と長年感じてきた。

 

まったく違う発想で「自由にワクワクする人たち」だけを組織するのがこれからのスタイルではないだろうか。

集団で製造したり、営業したりして「粗いマスの仕事」をしていたのがこれまでではないかと思う。

これからは、「目標を共有する人たち」が少人数で集い、自由に活動するスタイルが主流になるだろう。

その生産性はこれまでとは何倍も違うはずだ。