藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

一身にして二生まで

*[次の世代に]1年にして2年を生きる。

歳と共に、だんだん一年が新鮮に感じられるようになってくる。
例えば3歳の子供のにとって、1年間は自分の「人生の3分の1」を感じる非常に大きな存在だ。

それが思春期のになってくると1/15、とか1/20とかだんだん「細かな1年感」になってくる。

57歳のおっさんにとっては、1/57の出来事である。(あれ)

1年という時間は実に均等に流れているのに、感じる側の気持ち次第で大きな差ができてくる。

つまり今の自分が"3歳のころの時間感覚"になるなら、これまでの人生の1/3の「20年分くらい」の帯を想像する必要がある。

なるほど「1年で20年分の経験」なんかをすれば、そりゃびっくりするだろう。

10歳くらいまでの子供たちは、そんな時間感覚の中で生きていて、だから成長もするし多感にもなる。

 

では歳を取ったら成長できないのかというと、そうでもなさそうだ。

そういうことを分かった上で、「次の1年間に、何年分もの経験をしよう」と思って懸れば、幼児のような20年分、とまではいかなくとも"2年分"とか"3年分"くらいの経験をできる可能性はあると思う。

 

「今年やれことは、せいぜいこのくらいか」と決めてかからずに、子供の気分で何にでもチャレンジしたいものだ。
ところが残り時間に目を移すと景色は真反対になる。