藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分の脚本

*[次の世代に]自分を猛獣使い。

謝罪とか難儀な交渉とか。

実に大きなストレスがかかる場面ってあるものだ。

遠い目をして「それが人間社会に暮らす、ということなのだ」と思うこともある。

社会人になりたての頃は、特に免疫がゼロだから、朝礼すらしんどかったし、新規営業も大変だったし、トラブルが発生して「会社を代表しての謝罪」なんかもえらいストレスだった。

毎日遅くまで仕事場にいて、それでもその後居酒屋に数人で立ち寄って「安く酔ってウサを晴らす」というのはこういう意味なのだ、としみじみ思った。

それはともかく。

 

営業になって何年かして、ある時ふと思ったのだ。

「こう次から次に自らに訪れる難儀は、まるであらかじめステージングされたゲームのようではないか」と。

ゲーム好きだった自分には、この考えはなんとなく好都合だった。

あるいはヒーローものに毎回登場する怪獣に見立ててもいい。

難儀は「当然にして現れ、そして物語的にもなくてはならないオブジェクト」なのだと思う。

平坦な人生などつまらない(というのは昭和の考え方らしいが)。

という風にまあ思い込んで今に至る。

 

自分は"荒ぶる猛獣"を相手にする猛獣使いなのである。

硬軟織り混ぜていきましょう。