藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

そもそも論の時代

*[次の世代に]本筋を考える。

世の中「そもそも論」というのは通常あまり歓迎されないことが多い。

「そもそも会社の目的は?」とか「あなたにとって仕事とは?」とか「あなたの生きがいは何か?」とかを急にいわれても、と。

そんな話を突然始めると「まぜっ返すのか」とばかり、現場のしがらみをひっくり返すような印象があってあまり歓迎されないものなのだ。

昭和の時代はもちろん、平成でも"経済成長"というワードは金科玉条で、それに異を唱えるなど「ちょっと変なやつ」と新興宗教のような目でみられていたのは、つい最近のことだ。

で、そんな「そもそものこと」が真面目に議論されつつあるのが今だ。

最近よく言われる「正解のない時代」「どれもが正解の時代」にリアルに移行しつつあるのだろう。

これまでの70年ほどは、完全に「経済熱」に浮かされていたのであり、その前の"戦争への突入"も恐ろしかったが、何のことはない。

その次には「経済戦争」へと突入していったのだ。

そしてその熱が急速に冷め始めて、多くの人や、特に若者が覚醒しつつある。

熱が下がってみると「そもそも自分にとって仕事とは」「人生100年時代?」「これからの家族ってどういうものだろうか」「学ぶ?」という自分の生き方の「一番の中心」をゆっくりと時間をかけて考えるモードになるだろう。

これまでのように中心(why)を外して、目的だけを追いかける(how)という 狂信の時代がようやく終わるのを感じている。