藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

犠牲vs便利(1)

*[ウェブ進化論]犠牲が前提。

もしも今後、大学などで研究をする機会があれば、ぜひテーマにしたいと思っているのは「利益と被害の経済学」である。
交通事故の犠牲者は、人力や馬車くらいならほとんどなかっただろうが、今でも(減ったとはいえ)世界で毎年135万人以上の人が亡くなっているという。

(ちなみにコロナの死者は一月末時点で565万人)

そんな犠牲を贖うために保険制度が整備されているが、保証されるのはお金ばかりである。

つまりみんなで保険をかけてお金がもらえる仕組みにしておけば、多少の犠牲が出ても便利な方を自分たちが優先していることになる。

自動車をEV化しようという声は大きいが「車を廃止しよう」という意見はまったく聞かない。

 

問題は"犠牲はどの程度のなら許されるのか?"と言うことだ。

例えば「年間に1割の人が犠牲になるような乗り物やサービス」があった場合、いかに高額の保険をかけても、その存続は許されるだろうか。

恐らく無理だし、第一それでは利用者がいないだろう。

事実、危険すぎて発売が禁止された商品は世の中にたくさんあるし。

 

で元に戻って、

仮に「これからエンジンを搭載した自動車というのが世界中を走ります。

日本でも年間3000人は亡くなりますが、保険制度も充実していますのでヨロシク!

ということになるのだろうか。

(つづく)