藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

犠牲vs便利(2)

*[ウェブ進化論]便利と理性。

(つづき)

特に事故や犯罪の被害にあった人やその家族などの話などを聞くと、世の中の仕組みは「もう少し厳しめのルール」にするべきではないかと思える。

交通事故や犯罪をいたずらに厳罰化する、というのではなくルールを変えるようにする。

例えば車の交通ルールを厳しくするよりは、車の性能そのものに制限をかけてしまうのだ。

例えば時速50キロ以上は出なくする、などとしてしまえば、事故は減るだろう。

だが、そうした動きは聞いたことがない。

高齢者の運転ミスが話題になって久しいが、例えば高齢者や煽り運転をしてしまう人は、速度制限付きの車にするとか。

(高速道路はセンサー付きの車で150キロでもどうぞ)

 

"便利と理性の限界"について、自分たちは身近に被害が起こっていないと問題意識が向かない。

毎日交番に掲示される「昨日の事故件数」を見ていても特に何も感じない。

これは経済の持つ「悪魔的効果」である。

 

以前も書いたことがあるけれど、駅のホームに付けられている転落防止の柵は、一駅で5-10億円ほどかかるという。

年間にどれほどの人を救い、その費用対効果を計ることはタブーなのだろうか。

自分たちはよく費用対効果、と口にするが基準を見直す対象はあちこちにありそうだ。

 

カーボンフリーだけが目標なのではない。