藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

所有の魔窟(2)

*[次の世代に]自分の世界を。

自分たちは「保有効果」といって一度保有したものについては、他人よりも強い愛着を感じ、そして一方、その喪失にはより大きな悲しみを覚えるという。

誰しもが持つだろうそうした「所有心」の根本はなんだろうかと考えると、その原因は「飢え」とか「安全」とか「自由」ではないかと思う。

 

何度か書いている「FIREの本質」である。

子供はなんでも欲しがるし、またその欲望に際限がない。

そんなに「いくらでも欲しい」という欲望の本質は「安全と自由」にあるのではないかと思うのだ。

大人が分別を持って「何でもかんでも欲しがらない」のは、ある程度将来の目処がついていて見通せているからだろう。

いまでも「所有の権化」とか「金の亡者」のような人はたまにいるが、どこかそうした「恐怖心とか狩猟マインドのようなもの」から抜けきっていないように見えるのだ。

 

また、ガラクタのようなものを捨てられない人も多い。

「蒐集癖のある人の心理」はどんなものなのだろうか。

自分は何かを蒐集癖する人は「自由」を求めているのではないかと思っている。

自分の好きなものに囲まれ、自分だけの世界を作り、そこに浸って心理的な自由を味わう。

 

何か現代の合理的で殺伐とした中で、合理性など一切問われない「自分だけの城」を作って和みたい、という少し共感できる部分もあるのではないだろうか。