*[ウェブ進化論]〆切は誰がための。
自分たちは「〆切」 を厳しく与えられないといつまでも完成させない、いや着手すらしないような性質を持っている。
いわゆる「夏休みの宿題現象」的な性質である。
以前、京都大学の佐藤卓己教授が卒論を書く学生に対し「卒論の〆切を楽しみなさい」
そしてこれからも「〆切のある人生を生きなさい」
さらには「自ら〆切を選び取り、守り切る人生を生きて欲しい」と仰っていた。
確かに自分たちは〆切がないと悪気がなくともダラダラと作業しがちである。
例え「もう少し質を上げよう」というような主旨でも、なかなか自らで期限を切って終わらせようとはしないものだ。
そして佐藤教授は言う。
人生にも締め切りはあるのです、と。
ちーん。
最後の〆切は、自分の最期のことだった。
そしてこの〆切の来ない人生はない。(ちーん)
何事にも期限とか目標とかをいちいち決め、それを厳格に管理する。
それぞれは何か形式的で厳しく、無味乾燥な感じすらする。
けれどそうした「〆切管理の習慣」が、自分の最期の締め切りで後悔しないためのものなのだと思えば、十分に納得できる。
他人から与えられていたと思えていた"〆切"は、実は「他人のためならず」だったと言うのはドキッとさせられる話ではないだろうか。