*[ウェブ進化論]一生を費やすもの。
先日ある有名メーカーの元社長さんと面会する機会があった。
冒頭のあいさつで「私の仕事人生は映像技術とともにあった。それ以外では家内と出会えたことに感謝しています」と。
何かとてもカッコ良かった。
老境に入って清々しくゆっくり語る様子は、まるで一流の役者の台詞のようだった。
そこで考えた。
あんな大社長ほどではないにせよ、自分にも仕事人生はあったし、家族との出会いもあった。
果たしてあんなに真面目に語れるだろうか、と。
ギャンブルに費やした生涯、とか
女に費やした生涯、とか。
別に真面目でなくても構わない。
俳句や短歌は日本の産んだ貴重な文化で、あらゆる意味を韻を踏んで凝縮する様が海外から評価されているという。
日本人は漢字を使うので、究極に短い「今年の漢字」というのもある。
英語圏で「今年の一語」というのはあんまり聞きませんねぇ。
日本人には「凝縮の感性」が備わっているような気もします。
日頃老人ホームを訪問していると、お年寄りから「年をとるにつれて、自分の人生の意味を頻繁に考えるようになるのよ」という話を聞く。
"凝縮の考え"は年とともに強まっていくらしい。
そりゃそんなことを考えている若者はいないだろう。
なので若い人にこそ「後々振り返ったら自分の人生はどんな風に表現するようになるだろうか」ということを、少しは考えてもらいたいと思う。
何か熱中できるものを、見つかるまで探そう。