藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

修行の理屈

*[ウェブ進化論]自分を晒す覚悟。

よく成功した人たちの伝書に「迷ったら苦しい方に行け」というのがある。

宮本武蔵五輪書から現代のビジネス本にもそうした提言は多い。

 

けれど普通はそんな選択はしにくいものだ。

自分たちはそもそも「やすきに流れる」生き物でもある。

だから「敢えて苦しい方の選択」をするのには理由がいる。

それは「そこに身を置いてこそ、その先の自分が見られる」というチャレンジ精神なのに違いない。

もっと強くなるためには、もっと過酷な環境に自らを置かねばならない。

それは自分に必須の選択なのだと。

 

けれど一旦「こういうサイクル」が自分の中に出来上がってしまうと、あとは「修行者まっしぐら」である。

もう「苦しいこと自体」には疑問はなくなっている。

それを飲み込んでしまうと疑いはないのだ。

あとはひたすら修行に打ち込むことができる。

 

「やると決まったスイッチ」を押してしまったようなものだろう。

かくて「あり得ない修行」が実行されることになる。

 

自分たちはそんな「覚悟」を仕事や家庭を持ちながら試されているのではないだろうか。

仕事も家庭も「苦しいから止める」という選択肢はないことの方が多い。

予め「何が来ようとも受け入れる」という覚悟があればこそ、"その次"が見えてくるのだと思う。

 

敢えて挑戦し、苦しい選択に自分を晒す。

それでようやく「その先」に手が掛かるのではないだろうか。