藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

苦労行脚

*[ウェブ進化論]苦労は誰のため。

よく迷ったら苦しい方へ行け、という教訓を聞くけれど(そんなことできるかなぁ)、確かに「苦しい思いをしたがゆえに」結果経験値が上がったり、より良いノウハウを身につけたり、ということはあるものだ。

ただ苦しい最中にそれに気づくことはあまりない。

易きに流れますよ、それは。

けれど「思えば…」とかなり後から気付いたりするものだ。

そしてそうした心理を見越して「苦労を苦労と思わない」という高等戦術もある。

"経験値の法則"とでも言えるだろうか。

 

例えば筋トレでも、より苦しい追い込みをしていかないと筋力は上がってこないものだ。

そうして最近気づいたのだが、ストレッチをしているときに「伸ばすと痛い方」を意識して伸ばしていると、結果的に可動域が広がったり、痛い、腰や肩が楽になったりすることに気がついた。

つまり「ストレッチも痛い方へ行け」ということになるだろう。

わざわざ苦労を選びながら、結果を取りに行く。

というのが"定番の順序"なのだと思えば辛くない(ふりをする)。

苦労上等、と思えればいろんな努力の捉え方もかなり変わってくるだろう。

 

同様に「可愛い子には苦労をさせよ」とも言えると思うが、なかなかそれができる親はいないものだと思う。