藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

賭けに乗らず。

*[ウェブ進化論]噂の真相

オリンピック後には下がると言われていた中古住宅やマンションが値上がりを続けている。

日経の記事では「超低金利」「共働き世帯の増加(1245万世帯)」「日本株の上昇」「在庫の減少」が原因だと分析していた。

今年はそれが一服して調整局面入りするとの予想で、根拠は「金利上昇」「共働き世帯の減少」「日本株の先行き悲観」などなど。

 

コロナ騒動とか、オリンピックとか、アメリカの選挙とか、何かイベントがあるたびに「その分野の専門家」とか「マスコミとかジャーナリストや評論家」とか、さらには素人が、これまでとこれからについて解説するけれどどうだろうか。

正直「当たらぬ予言」ばかりだと思う。

それはともかく。

恐らく"こうしたこと"は昭和とか明治とか、いやそれ以前もずっとそうだったのではないだろうか。

つまり、近い未来は予測できない。

そして、そういうことはこれからもずっと続く。

"未来をもっとも的確に予測してきたのはSF作家である"という分析は、どうも正しい。

次の500年 繁栄に終わりはあるか 科学の予感を遥かに超えた別の国 ミラクル・ワールドへの旅立ち(エイドリアン・ベリー著)

 

円高かドル高か? とか、どこの株が上がるか下がか? とか。

そうした「丁か半か」ではなく、どちらのポジションも取らない。

で世の中の経済が、どちらに傾いても自分は破綻しないような立場を考えるべきだと思う。

 

「どちらかに乗りましょう」という誘いの声に、惑わされないようにしよう。

友と出会いに

*[ウェブ進化論]サーチ読み。

大きな書店で本を買うときには、タイトルを見ながら目次とか後書きとかをパラパラ見る。

で何冊かを選んでおいて、さらに本当に買うかどうかを考える。

問題はそうして買い込んだ本の「こなし方」で、長年どんどん溜まる書籍に嫌気がさし、「だからもう新規の本は当面禁止」にしていたこともある。

本末転倒である。

 

そこで「サーチ読み」をすることにしてみた。

改めて数冊を選びサーチしてみる。

そこでパラパラと読みながら「しっかり読みたい本がどうか」だけを判定する。

そうして「今月の一冊」を何冊か決めて、目の届くところにおいて毎日必ず少しでも読むようにする。

ざっと読みながら「気になる部分にはマーカーか耳折り」をしておいて、ともかく最後まで。

そしてようやく「熟読したいかどうか」を考えてみる。

ここまでたどり着けた本は多分、自分にとっての良本なので、じっくりとマーカーなど引きながら読ませてもらうことにする。

そうやって出会えた本から得るものは多くて、生涯付き合うことになるものも多い。

 

完訳 7つの習慣 人格主義の回復: Powerful Lessons in Personal Change

【ビジネス書大賞2020 特別賞受賞作】哲学と宗教全史

セオリー・ゲームからの脱出―未体験時代への43の戦略

 

思えば親友を探しているのに近いような気がする。

簡単には見つからないが、出会えば嬉しい。

私のメンター

*[ウェブ進化論]自分との相性を知る。

昨日エニグラムを進化させて、自分の発言とテキストを記録して分析するソフトのことを書いた。

それができて、ビッグデータ化されていくと、もちろん「自分と他人」の関係改善にも使えると思う。

敵を知り、己を知ればってやつだ。

 

例えば結婚。

日本では結婚する3組に1組が離婚するというが、潜在的にはもっと多いとも聞く。

結婚する前に契約書を交わそう、ともいうがあまり進んでいない。

すでに付き合うカップルの3割程度はネットがきっかけだというから、恐らくその辺りから「リアルな相性診断」ができてくるのではないだろうか。

 

例えば就職。

就職や転職は「そもそも何がしたいのか」を考えたいところだが、それがとても難しい。

だから向いていない職場に入って辞めてしまうこともよくある話だ。

せめて「「適職診断」が細かくできていれば、こちらもマッチングの精度を上げていくことができるだろう。

近いうちに突然、「この人とお付き合いしてみませんか」とか「あなたの最適の転職先はこちらです」などというお知らせがくる時代になるだろう。

 

自分たちのメンターは、将来必ずコンピューターになるのではないだろうか。

 

 

自分が材料

*[次の世代に]メンターを作る。

日本エニアグラム学会というのがあり、「自分と他人を理解する設問」を具体的に研究している。

試しの90問とか9つのタイプなどを見てみると「改革する人」「人を助ける人」「達成する人」・・・など、なるほどと思える一方、これで自己分析が完結できているという実感もあまりない。

「自分たちはそれほど自分自身が見えにくい」ということが分かる。

理由は多分、人間関係は「感情・情緒」が先に立って支配しているからだろう。

周囲に日常生活を「ほぼ感情だけ」で過ごしているような人はいないだろうか。

プライベートで「好き嫌い」は大いに結構だと思うけれど、これが仕事とか日常生活などの「他人と関わること」にまで出てくると大いに都合が悪い。

 

けれどけれど。

考えれば考えるほど自己分析って難しいものだ。

例えば自分がどんな表情でいるのかどうか、自分は正確に把握できるだろうか。

難しい。

自分が家族や同僚と交わした会話は、後から見てみてほぼ間違っていなかったといえるだろうか。

いやむしろ誤りが目立つ。

「自分の会話と書いたテキスト」だけを集めて、分析するソフトの開発が待たれる。

そしてエニアグラムなどの知見を使って分析にかけるのだ。

それができれば、ここ一番はAIの出番で「自分たちの知らない性格と思考とコミュニケーションの関係」が世界レベルで明らかになっていくのではないだろうか。

「こういう発言をする人は、具体的な行動に出やすい」とか「こういうイントネーションで話す人は拒否感を持たれやすい」とか色々ありそうだ。

 

占いとか血液型などよりも余程"頼れるメンター"になるのではと思う。

ベストセラーになるのではないだろうか。

 

 

労働の成分(2)

*[ウェブ進化論]生産性の本丸。

日本の労働政策が「オープン化に反して雇用の義務化に向いている」ことは、特に大企業の柔軟性を失わせ、硬直化させている原因である。

ところが雇用契約を自由にしよう、というと必ず組合とか業界団体から強い反対の声が出て、選挙などでは一気に硬直状態にハマってしまうというお決まりの構図だ。

 

日本人は突出して労働時間が長い(2000時間/年)というけれど、その中身の分析については驚くほど進んでいない。

今を去る30年以上前から「成果型」とか「目標管理型」とか「ジョブ型」の評価制度などが話題になってきたけれど、それが大当たりしているという話はあまり聞かない。

いくつかのIT系企業は、社員のリーダークラスをどんどん分社化して任せているが、耳に聞こえるのはそんなの数社と、リクルートくらいである。

 

今や仕事の中身も「一人が一台のコンピュータを使って」のではなく「コンピュータから見て自分やチームがどんな仕事をしているか」を計る時代になっている。

なのでそろそろ「コンピューターによる労働の質の分析」を本格化してはどうだろうか。

SalesForceや他のデジタルツールなどがイメージに浮かぶが、もっと細かく、そしてもっと大雑把にまず「自分の行動分析から」でもいいと思う。

それが1ヶ月、一年と蓄積されてくれば、単なる数字だけの評価でもなく、そして間接サービスの部分だけでもない仕事の評価ができてくるだろう。

 

あれこれ言いながら、もう半世紀くらいが過ぎてしまった。

新しい時代にはまったく新しい考え方の評価制度を考えてはどうだろう。

労働の成分(1)

*[ウェブ進化論]分配はできていて。

日本人の労働生産性はかなり低くG7では何と半世紀(1970年〜)も最低だという。

一時期の「世界第二のGDP」というのも人口が多く、そして長時間労働していた結果だということらしい。(ちなみに補正した一人当たりGDPでも世界35位かつG7最下位)

例えば欧米では正社員の労働が年間1300時間程度なのに対して、日本人は2000時間だというから、欧米に比べて自分たちは何と年間4ヶ月以上(88日分)長く働いているということになる。

多くの人が働く業種が(製造業から)サービス業に大きく移ったということが大きな原因だというが、それだけではない。

国は法律や規則を細かく変更して賃金の引き上げなどに躍起だが、現場では「ブラック企業」や「ダラダラ残業」がなくならない。

 

それでも日本は先進国ではまれに見る「分配の行き届いた国」つまり格差はない国だというから、もし「この状態でよし」とするなら政治家がゴチャゴチャいう必要はない。

けれど成長とか賃上げを、ということがみんなの目標なら抜本的に「労働法」とか「教育」について考え直さないと、今の流れはまだまだ続く。

自分が社会に入ってから30数年、本質は何も変わっていないのだ。

「雇いやすく辞めさせやすい制度」とか「中途で受けたい教育を無料化する」とかの労働のオープン化をしていく方向と今はまったく反対の方向に動いてしまっている。

「雇用の流動化」というと必ず反発する人たちがいるが、法律で縛るより"オープン化を志向する"のがこれからの常識になるだろう。

政治家はそこを論点に政策を立てるべきではないだろうか。

(つづく)

 

May I help you?

*[7つの習慣]バーチャルお手伝いさん。

知り合いのコンサルタントから「これから何かお手伝いすることはありませんか?」と聞かれて、改めて自分のやりたいことを考えるきっかけになったりする。

常に「重要事項を優先する」つもりでいるのだが、なかなか難しいものだ。

よくある「定例の打合せ」なども本当に必要なのかどうかを、定期的に疑ってみる必要があるだろう。

それはともかく。

 

なので、自分で自分に「何かお手伝いしましょうか?」とわざと改めて問いかけてみるのは、自分の「今本当にやりたいこと」をはっきりさせるのに有効な手立てだと思う。

名付けて「バーチャルお手伝いさんを雇ってみるやつ」である。

自分一人であれこれ作業していると、どんどん「他人モードの時間」につかまってしまい、自分の重要なテーマがどんどん遠ざかっていく。

毎日そんなことをしていたら、重要なことには永遠に手が届かないだろう。

それを「誰かに手伝ってもらうならば」という風に考えてみると「今日の重要なこと」「今月、今年の重要なこと」についても何となく考えが及んでくる。

バーチャルお手伝いさんに尋ねてもらうことで、「考えなしに自分だけであれこれ忙しくする」ことから距離をおくことができる

 

さて、今日はなにをお手伝いしましょうか。

きっかけと実戦

*[ウェブ進化論]事業の方法。

シリコンバレーではよくいわれるらしいが「釣りをするには、できるだけ大きな池に糸を垂らせ」という表現がある。

自分が今チャレンジしているビジネスがどのぐらいのものなのか、ひょっとしたら井戸位のサイズなのか、それともコップの中の嵐なのか、それとも大きな湖なのかを予め考えておけ、ということだ。

当たり前やん、と思いつつ自分の過去を思い出す。(汗)

すると、とかく新しい何かを始めるときにはまず「その仕組みが上手くいくかどうか」ということばかりに気を取られて「次の一手」とか「将来の展開」にまで思考が追いついていないことばかりだった。

事業家としては素人レベルか。(嘆)

そもそも自分の手がける事業が「世の中のシェアを取る」という大それた発想はなかったのだ。(嘆)

 

最近はスモールビジネスという言葉もよく聞くが、自分がやり始めることや、今手がけていることが、ゆくゆくどんなサイズになるのかをぜひ考えたい。

て、これも7つの習慣の一つ「目的を持って始める」だった。(焦)

 

事業ってまず「やりたいこと」があり「人とお金」が必要でさらに「販路とか宣伝」なんかも考える"セット商品"みたいなものだ。

 

なので「やりたいこと」をまず探そう。

妄想の意味(2)

*[ウェブ進化論]自分なりの妄想。

直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN(佐宗邦威著)

妄想というのは「今(の文化で)は支持されない、むしろ誤りと思われるようなこと」らしい。

このカテゴリー、実はとても重要な部分なのかもしれない。

一昔前は多少の公害が出ても「製造」とか「成長」が時代の正解のキーワードだった。

それが2-30年も経てばガラリと変わってしまうのが今の時代だ。

自分が生まれてからだって世間や大人たちのいうことは二転三転しているじゃない。

そして自分もその一人だ。(汗)

「妄想のアトリエを作る」というのは、周囲の常識に囚われずに「自分だけの思考をし、それを育め」という著者のメッセージなのだ。

新しい出来事に対しては、自分たちはいつも初心者であり「むしろ既存のルールや理屈に当てはめて未来を見ようとすると、見誤る」ということを自分たちはそろそろ学習する必要がありそうだ。

つまり「流行りに乗ること」が相当愚かしい、ということに気づく時代になったのだと思う。

正解のない時代、問題が見えない時代といわれているからそこそ"自分なりの妄想"を思い浮かべて、それを育むことが次の「自分なりの道」を見つけることになるのだ。

 

「妄想のアトリエ」とか「妄想の森」に積極的に通うことにしよう。

 

妄想の意味(1)

*[ウェブ進化論]妄想の森とか。

直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN(佐宗邦威著)

佐宗さんの"デザイン思考"についての本に「妄想のアトリエを作る」という表現がある。
本を読んでからずっと気になっていたのだが、具体的に手を動かすという指示もあったけれど、あえて「自分の妄想ってなんだろう」と考えだす気にはならなかったのだ。

自分は画才がなく、どうも「作品を育むアトリエ」というのはピンとこないけれど、散歩する「妄想の森」という風に考えてみた。

どうもこの「妄想」というところが重要なようで、「夢」とか「希望」というほど遠く大げさでなく、けれど「今月の目標」とか「事業計画」とかいうリアルなものでもない。

でそもそも妄想ってなによと。

妄想(もうそう/英: delusion)とは、その文化において共有されない誤った確信のこと。

そんなことらしい。

だから「妄想のアトリエ」というのは、他の人たちに言ったら笑われたり否定されたりしてしまうけれど、「自分だけで密かに企んでいること」という感じになる。

この「共有されない誤った確信」というのがミソで、今の時代この「誤った」というのが「実は誤ってなかった」ということが頻繁に起きる。

コロナ騒動が最近の典型例だろう。

 

つまり"今正しいこと"を追いかけてばかりではいけないのだ。

(つづく)

 

反省のタイミング

*[次の世代に]誰もが失敗しようとしていない。

自分も含めて、日常というか「人生は失敗であふれている」と思う。

特に他人が失敗するのを見ると「あれあれやっちゃったな」とそれこそ他人ごとのように眺めているが、自分の時にはそうはいかない。

くよくよしたり、天を呪ったり、ただ運のせいにしたりもする。

だから失敗の分析は必ずしたほうがいいだろう。

年度替わりとか年末とかの「なんとなくの区切り」はそんな失敗の振り返りのタイミングにしてみるのはどうだろうか。

自分たちはつい「新しい年の計画は」と先の話ばかりしてしまうが、失敗の原因が分かっていないと次年度も「同じようなこと」を繰り返すのはよくある話だ。

自分も事業とか人間関係とかで数多くの躓きをしてきたが、振り返れば「もう一度やってみて上手くいっているだろう」ことってあまりないぞ。(汗)

 

失敗学という学問まであるくらいなので、せめて「自分の失敗史」くらいは記録して振り返るとしたい。

あの時、潔く撤退していれば…というのはあるなぁ。

妄想の時代

*[ウェブ進化論]Delusion!

今年の正月に読んだ本なのだが、どうも心のどこかに引っかかっていたので風呂場で読み返してみた。

購入する書籍の中で7割がたは二度読みしないが「何かあるな」という分類に入っていた一冊。

著者の伝えたいことは一つだが、その伝え方にはいくつもの面白表現がある。

カイゼンの農地」「戦略の荒野」「デザインの平原」「人生芸術の山脈」そして「ビジョンのアトリエ」。

なにか聞いているだけで楽しそうな気がしてくる。

著者はソニーやP&Gなど名だたるメーカーのマーケッターを務めてきたプロである。

もしこの本を自分が書いたとしたら全く注目されないに違いない(書けないが)。

冒頭に出てくる「仕事ができる女性の悩み」は「他人モードが原因」というエピソードには思い当たることが多い。

自分たちの日常は「ほぼ他人モード」であり、意識しなければ「自分モード」に戻らずに毎年、お正月を迎える…

そしてそのまま何年も経って五十代になり、そして定年へ…という人も多かったのではないだろうか。

そして自分もそっち側である。

だからこの本が頭の隅に引っかかっていたのだ。

この本をテキストにして、そのまますんなりビジョン思考が身につくかは分からないが、著者が最も影響を受けたというサッカーの岡田武史さんが"夢を語る"を信条にされているという。

 

ひょっとして人生を変えるかもしれない一冊だ。

常識から逃れる

*[ウェブ進化論]経済的独立の意味。

FIREというのは何か「大金を稼いでその後何もしないこと」なのかと思っていたが、どうもその本質は違うところにあるような気がする。

年金がどうとか、老後の資金がどうとか、定年がどうとか、そして平均寿命は伸びるとか。

どの話も「結局金がらみ」だ。

自分もこの年にして改めて「経済」「成長」「投資」「運用」の話だらけに違和感を感じている。

この違和感が実は大事なのじゃなかろうか。

この「金」とか「経済」から距離を置こうとすると、今の時代なかなか難しい。

よほど田舎の集落で自給自足に近い生活をする必要があるだろう。

けれど「そんなことを考えてみてもいいくらいのこと」を若者は感じているのではないだろうか。

自分たちがしたわけではない国の借金とか、年金とか医療保険とかの「既存のモデルに自分たちを当て嵌めないで」という声の表れがFIREなのではないだろうか。

押さえつけられている若者の声、というわけだ。

 

いずれ年寄りは去っていくから20年もすれば、政治の大勢や世の中の構造も徐々に変わってはいくと思うが、今の若い人に20年も我慢させるのはよろしくない。

 

今こそ大人が「先の話を」進んでして、選択をしていくべきだと思う。

ただ黙っているのはやめよう。

 

 

 

あえて自由する

*[次の世代に]時間の楽しみ方。

平日には自分以外の人とのアポイントとか会議とか「相手のある仕事」があるので、そこには時間の拘束がどうしても発生する。

で今さら「時間が自由になる休日」には自分で「どうなふうに自由にするか」をあらかじめ考えてみる。

今度の休みは映画を観よう、とか髪切に行かなくちゃ、とかいうよりももっと詳細に。

例えばその中に未知の要素が入っても面白い。

美術展の帰りに、歩いて食べログで見た谷中のカフェに寄ってみよう、とかさらには晩メシはどこか下町の初めての店を探索しようとか。

目的を持ってお目当ての場所に行くと、その道中が「移動」というプロセスだけになってしまうが、徒歩や自転車で行動すれば移動中にもいろいろと楽しめる。

 

あえて勉強に充てるのもよし、寝て過ごすのも自分のチョイス。

予定は昼寝、というのもオツなものだ。

 

「時間を自由に使う」ということを改めて考えてみた。

自由って最高の精神状態なのに違いない。

自分に何かを課すのも自由。

何も決めないのも自由だ。

 

突き詰める習慣。

*[七つの習慣]違和感、放置せずまず記録を。

例えばアベノマスクが余っている、というニュースを見ていて「ばっかみたい」と一蹴して忘れてしまうクセがついてしまっているが、よくよく考えれば原因はあったはずだ。

どうも一人か二人の発案から始まったらしいが、そうした失敗の原因こそ突き止めておく必要があるだろう。

人は愚かな生物だからこそ、起きた愚行についての「原理の究明」がその後を左右するのだ。

 

それはともかく。

同様のことは何も政治だけではなく自分たちの日常でも起きている。

例えば「昨日の商談は何かうまくいかなかったな」とか「この間の飲み会、何か盛り上がらなかったな」とか「昨晩のあいつ、何か元気なかったな」とかいった"軽い違和感"こそが大問題を突き止める発端なのだ。

自分たちは日常、たくさんの「そんな感情」を感じている。

単なる受け答えでも「あれっ?」と感じることはあるだろう。

けれどいちいち「この原因は?なぜだろう?」と考えていては時間がない。

ネットで情報が氾濫するあまりか、自分たちは違和感をスルーすることに慣れすぎてしまった。

そういえば数年前「スルー力」がよく話題になっていた。

政治もそうだが、日常の違和感に注目してみてはどうだろうか。

何か自分についても大きな発見につながるような気がする。