藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

8歳までに気をつけよう。

セイシュン、という何だか思い返すとはっきりせず、しかし文句なしに何か甘酸っぱい響きを持つこの言葉は、一体心のどの部分を刺激するのだろう。
きゅん。


誰だって一度くらい、いや何回も「死んじまおうか」と思うことはある。
まあ生きる、とは死を意識することでもあるのだろう。
いつかは自然に還るのだ、と分かっていながら、年を経るごとにその恐怖と闘い、日々を過ごしていくことが「生きる」ということなのかもしれない。
ちょっとジジ臭いか。


心のメカニズム(という表現がすでに間違いかも)はなかなか解き明かされないだろうが、人間は高度な脳を持つゆえ、自己矛盾に至ったり、結論を急ごうとして、その刃を時として自らに向けてしまうのだろう。

幼児の兆候

自殺を図る人々がたどる過程として、男性の78%は8歳の時に、破壊的な気質や、攻撃性、他者への残酷さなど、教師や親にも分かる問題を示すという。


一方で、女性にはこのような傾向が見られず、情緒的問題が出てくるのは思春期以降だった。

「他者への残酷さ」を8歳で示す。


まだ幼く、虫や小動物相手に残酷なふるまいをすることはよくある。
まだ命、というものの具体的な存在を知らぬから、生き物をオモチャと区別せずに扱ったり。


そういうことではなく、対人での残酷さ、ということらしい。
「図る人がたどる過程」という表現も何か結論ありきの恣意的な見方に感じなくもないが、他人に対する残虐性は、いつしか本人の脳裡で相対的に認識され、そして自分も気づかぬうちに、「自分にに向かって」いるのかもしれない。

「生と死を見つめるバランス」ということだろうか。

そんなことを気にさせられたニュースだった。


<記事全文>

自殺を図る若い男性の大半、8歳で兆候

[シカゴ=ロイター] 自殺を図る若い男性の多くは、8歳の時点で重度の情緒的問題が現れることが、6日発表されたフィンランドの研究で明らかになった。
自殺を図る女性の多くは、問題が出てくるのは思春期以降だという。


研究を指揮したフィンランドのトゥルク大学病院のAndre Sourander医師は「青年期や成人早期に真剣に自殺を図る人でも、男性と女性では異なる過程をたどることが分かった」と結論付けている。 

医学誌「Archives of General Psychiatry」に掲載された同研究は、1981年に生まれた5302人を対象に追跡調査。
男性27人と女性27人が24歳までに自殺を図り、そのうち男性13人と女性2人が実際に亡くなったいう。


研究グループは、女性は服毒による自殺を試みることが多いが、男性はより致死性の高い方法で自殺を図る傾向があるとしている。


また自殺を図る人々がたどる過程として、男性の78%は8歳の時に、破壊的な気質や、攻撃性、他者への残酷さなど、教師や親にも分かる問題を示すという。


一方で、女性にはこのような傾向が見られず、情緒的問題が出てくるのは思春期以降だった。


研究グループは、効果的な方法で兆候を示す子どもたちを見つけ出して治療し、自殺率を下げるようにすべきだとしている。