藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

対峙力。(とっかかる力-その二)


この時期、高校や大学の受験生から、悩みの声がよく届く。

「どの学校に行くべきかわからない」
「どの大学が自分に合っているでしょうか?」
「将来何になりたいかが決まらないので、行きたい学校も決まらない」などなど。

どれも青春。
それがセイシュン。
おじさんもそういうことで悩んでみたいわ。と言いたいところだが彼ら彼女らには、今は最大の悩みなのであるから、ことは重大である。

目標に支配されないこと

あこがれの目標があるばかりに「その先がない」、ということがある。

上り詰めるべき「偉大な」ゴールが遠く輝けば輝くほど、「その先」については見通しが利かない、ということはよくあるのである。


上り詰めて、その権力をどう使えばいいのか分からない政治家。
ひたすら利益をあげて、大金持ちになり、親子三人暮らしなのに欧州に古城を購入する実業家。
出世競争に明け暮れ、敗れた場合に「燃え尽きる」高級官僚、などなど。


その目標は、「自分にとって高ければ高いほど」、その先を考えることは難しいものである。
従って「その先」まで積み上がるような種類の「道」のようなものを頭の中に「仮想」していないと、ある階段を上がった途端に「その先が断絶」してしまい、立ち尽くすことになる。

まだまだその先は長いこと。


先日子供の言葉に驚く。
「ああ、そういうのってRPG(ロールプレイングゲーム)みたいなもんだね。せっかくムズいステージクリアしても、すぐその先があるもん」とのこと。
今の子供は「そういう」状態をテレビゲームなどを通して体で分かっているのかもしれない。(怪)


よく「学校で学ぶ知識は、実社会で役に立つのですか?」という疑問を耳にするが、もちろん役に立つ。
だが「どこで役に立つの?」とか「どんな風に役立つの?」と細かく探して回るよりも、そんなもの「呑んでしまえ」ということである。


考える練習をしたり、知識を吸収する喜びを感じたり、そんなことが同様に実社会でも重要になってくる。

今は、「ごちゃごちゃ理屈を考えていないで、ひたすら加速度を付けて今の目標を突破してしまえ!」というのが悩める若者への、私の回答である。

またその先に、次の景色が見えることだろう。