藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

安定とイノベーション

週に二日は行きつけの同じ店に行くことにしている。そしてできれば週に一度は初めての店に入ってみるようにしたのがこの一年だった。

けれど3月の震災以来、知らず知らず心がうち向きになっていたのだろう、新しい場所に出かけて行く、ということをぱったりとしなくなっていたことに気付く。

心のコンディションは実にありありと挙動に表れるものである。
逆に自分の心の健康状態というものは、なかなか自分では判じ難いことにも気がついた。
知らないうちにとても心が滅入っている人、などは本人が自覚しておらぬだけで、周囲の人たちは皆気づいているものである。

つまり、自分が「ある程度まともかどうか」は、自分自身の心に問うのではなく、「自身の行動に問う」のが正しい。
友人や家族に「オレって変かな」などと問うても、およそ恣意的な答えが返ってくるか、さらにこちらが色々と曲解して、詰まるところ正しい判断材料にならないものである。

その点、毎朝の起床時間がズレてきていたり、長年続けていた趣味が途切れたりした時は、何か心のソフトウェアが重大な変質をしていることを疑ってよいだろう。
食の嗜好などは年齢と共に変わってくるものだけれど、生活習慣は定点的にウォッチしていたいものである。
などと思って居酒屋でそんな与太話をしていたら、女将の一言「あのね、男も女も恋をしなくなったらお終いなだけよ。」というセンテンスにばっさりとやられてしまった。
口でぐだぐだ言っても、女性の感覚には全く適わないことも再認識したのだった。