藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

学習成果と密度。

単語の記憶系の学習などは、忘却曲線との戦いで、「数多い範囲を数多く繰り返す」というのがコツだという。
音楽の練習をしていて思うのは、これと反対。
やはり記憶系の学習というのはその「量」が勝負なのであって「一つ一つへの理解の深度」というのは求められないのだろう。

例えば8頁くらいの楽譜があって、ザッとさらって(その前に丁寧に楽譜を読む、ということすら長年知らなかったし)その後に「四小節の一フレーズくらい」を徹底的にマスターしに行くような練習と、「全体を何度も繰り返す」というのではずい分と仕上がりが違う。
時間も「個別徹底的に弾き込む」方が結局短くてすむようである。

技の習熟を、基礎体力のトレーニングと応用技術に分けて考えられるのなら、努力を最大の効果に結びつけるような理論体系が出来てゆくに違いない。

いたずらに因習や師の言うことを盲信せず、「自分の目指す姿を自分自身で考える」という姿勢は、結果師の教えをうまく生かすことでもあるのだと思う。

「考えることと、体を動かすこと」という両者のバランス感覚が、つまりは一番重要なのではないだろうか。
自分も修行しながらそんなことを考えてみたいと思う。