藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

寿命反比例。

日経のエルピーダ・坂本前社長のインタビュー記事より。
坂本氏は70年に半導体大手のTIに入社以来もう四十数年業界におられることになる。
とはいっても御年66歳。
まだまだ他業界や政、官などでは引退する年ではないと思うが、ITの世界はそれだけ景色の変わるのが激しいということだろうか。

「損益に責任を持つ仕事はもう終わりにします。僕は66歳になり、世界の半導体業界を見渡すと僕より高齢なのはTSMCのモーリス・チャンCEOだけですよ。残りの人生は、今まで僕を支えてくれたお客さんや会社に貢献したいと思います。来てくれと言われたら条件は気にせず、相談役などとしてアドバイスします。僕は50歳で会社を辞めてゆっくりするはずが、55歳になってエルピーダの社長に就き、10年がたちました。もう本当におまけの人生です」

どんな仕事でも「損益に責任を持つ」というのが当たり前のようだが、実際の社会では必ずしも「そうした色がはっきり分かる」という仕事ばかりではない。
いわゆる管理業務とか、すぐには結果の出ない投資とか、また間接部門の仕事も多い。
一切合財含め、トータルで損益に責任を持つ、というのが経営者の究極のミッションであることが「もう終わりにします」という氏の宣言からは伝わってくる。
また誰しも現役の経営者でいるうちは「自分は損益の最終責任者である」ということを忘れずにおらねばならない、などと改めて思う。

ついつい、今の難題とか、これから先の新しいこと、などを考えていると「損益」という通信簿のことに意識が向かなくなるのである。
気をつけよう。

エルピーダ破綻のすべてを明かそう 坂本前社長
2013/10/4 7:00ニュースソース日本経済新聞 電子版
 2012年2月に会社更生法の適用を申請したDRAM大手のエルピーダメモリは今年7月末、同業の米マイクロン・テクノロジーの完全子会社となった。経営破綻以降も社長を務めていた坂本幸雄氏は完全子会社化を機に退任し、現在は台湾の半導体生産受託企業の聯華電子(UMC)日本法人のシニア・アドバイザー。これまで口を閉ざしていた坂本氏が経営破綻の舞台裏を語った。
 パソコンなどに搭載されるDRAMで世界3位のエルピーダ。1999年にNEC、日立製作所のDRAM事業が統合して前身企業が発足した。坂本氏は米テキサス・インスツルメンツ(TI)日本法人などを経て02年にエルピーダ社長に就任。03年に三菱電機の同事業を買収し、日本で唯一のDRAMメーカーが誕生した。坂本氏はスピード重視の社内改革を断行、低迷していた業績を立て直した。しかし、08年のリーマン・ショック後、市況悪化や円高で業績は再び悪化した。破綻への序章は11年12月、唐突に始まる。
■政投銀からの突然の通告が引き金となった
 「あれは12月中旬のことでした。日本政策投資銀行エルピーダに対し、2月末までにNAND型フラッシュメモリーを手がける他社と資本提携し、2000億円を調達するよう要求してきました。政投銀からの融資だけでなく、メガバンクからの融資分も一括で返済せよというのです。300億円の公的資金は政投銀が優先株を引き受けることで調達しており、12年4月2日以降は政投銀がエルピーダに対し、優先株を買い取るよう請求できる権利が発生する取り決めでした。しかし、バランスシート(貸借対照表)はしっかりしていたし、あと1年は市況が悪くても大丈夫だとの感覚がありました。急なことだったので、何か事情が変わったのでしょうね。政投銀の考えだったのか、民主党政権の論理だったのか。何が起きたのか全く分かりません」
 「米マイクロン、台湾の同業、中国の地方政府など複数の交渉を並行して進めました。いろいろな選択肢の中からベストなものを選ぶというのは当然だと思っていました。でも銀行からは『坂本は言っていることがころころ変わる』と信頼されなかった。それでも僕は毎週のように海外に行き、必死で交渉をまとめようとしました」
 エルピーダ資本提携相手の本命はマイクロン。マイクロンにとっても相乗効果が見込めるエルピーダとの資本提携は渡りに船だった。しかし、2月3日、悲報が坂本氏を襲う。マイクロンのスティーブ・アップルト最高経営責任者(CEO)が趣味の飛行機の操縦中に墜落死した。急きょ、現CEOのマーク・ダーカン氏が後任に就いたが、マイクロン社内は混乱した。
■マイクロン前CEOの飛行機事故で狂った歯車
 「交渉が進展したのはマイクロンでした。アップルトンさんとの付き合いは15年に及んでいました。僕が神戸製鋼所にいたとき、マイクロンとDRAM事業で提携する交渉で彼と知り合いました。彼ははすごくタフなネゴシーエータ−(交渉相手)で、会議中に大きな声でけんかもしました。そこでお互いに認め合ったのです」
エルピーダメモリの主力拠点である広島工場(広島県東広島市)
 「アップルトンさんが亡くなったのは金曜日でした。ちょうどそのころ、マイクロンの幹部がみんな来日していて、エルピーダとの統合の大枠が決まったところでした。彼は非常にうれしくて、新しく買った自家用飛行機を操縦した。100メートルくらい浮上して、そのままひっくり返って墜落してしまった。彼は多いときで10機以上も保有する飛行機好きだったのです。あの事故がなければ、両社は統合できていたかもしれません。彼の不慮の死で、マイクロン内部は相当混乱しました。新CEOになったダーカン氏も大きな判断を下す余裕がなかったでしょう」
 マイクロンとの交渉断念で、相手は別の半導体大手に絞られた。エルピーダ側は明らかにしていないが、この大手とは半導体生産受託(ファウンドリー)大手の米グローバルファウンドリーズ。グローバル社と政府系ファンドの産業革新機構は主力の広島工場(広島県東広島市)の買収を検討していた。革新機構はルネサスエレクトロニクス富士通パナソニックのシステムLSI(大規模集積回路)事業の統合を模索していた。広島工場をシステムLSI工場に転換し、統合会社が設計した製品を集中生産するもくろみだった。
■米アップルも政投銀にエルピーダ支援を訴えてくれたが…
 「その時交渉していた半導体大手のCEOは広島工場の価値を理解していたと思います。しかし、直接交渉に当たった担当者たちは低い価格を提示してきました。2月27日までにこちらの要望も踏まえて返事をするというので、最後の望みを託しました。2月に入ると会社更生法の申請も考えるようになりましたが、あくまで自力再生を目指していました。間違いなくDRAM需要は回復すると思っていたからです。スマートフォンスマホ)のほか、パソコンやテレビ、サーバー向けなどあらゆる機器でDRAMが必要になります。当時はスマホ向けがいつ立ち上がるかが焦点でした。12年に需要が増えれば破綻はなかったかもしれません。タイミングは僕の想定より1年遅れましたが、DRAM需要は間違いなく増えていきます。米アップルは事情を良く理解していて、政投銀に足を運んでDRAMの重要性とエルピーダへの支援を頼んでくれたこともありました。しかし、銀行は理解してくれなかった。逆に言えば、僕らには説明責任があったのに、うまく説明できていかなったのかもしれません」
 グローバル社との交渉が決裂した12年2月27日。夕方、エルピーダ東京地裁会社更生法の適用を申請した。同月2日に他社との提携を前提とした資本施策を発表していただけに、半導体業界や金融機関には激震が走った。
■政投銀以外の銀行はエルピーダ支援だった
会社更生法適用申請で記者会見するエルピーダメモリの坂本幸雄社長(左)と白井康雄最高財務責任者(2012年2月27日午後、東証)
 「会社更生法の適用申請を決断したのは2月27日の午前10時半。交渉相手から断りの電話が入ったときでした。広島工場を巡り、売却か合弁会社の設立を交渉していましたが、結局、短い期間では答えを出せないと言ってきた。最後の望みが断たれてしまい、どうやっても仕方がないと更生法を申請するほかなくなったのです」
 「振り返って思うのは、メーンバンクを持つべきだったということです。僕らが失敗したと思うのは政投銀の下にメガバンクなど4行があったというスキームでした。逆にメーンバンクの下に政投銀やその他の銀行があれば状況が違っていたのかなという感覚があります。ビジネスレベルで判断する市中銀行と政策的な判断をする政投銀とは視点が異なっていた。4行は2月の時点でもエルピーダを支援するという姿勢は変わっていませんでしたが、政投銀に従わざるを得なかった」
 会社更生手続きに入ったエルピーダはスポンサーの選定作業に着手する。入札にはマイクロンのほか、韓国SKハイニックスと東芝連合、投資ファンドのTPGキャピタルと中国ホニーキャピタル連合など11社が名乗りをあげた。5月初旬、マイクロンが応札額の高さと相乗効果が評価され、スポンサーに選定された。13年7月末にはマイクロンがエルピーダを完全子会社化した。
エルピーダの歩み1999日立製作所とNECのDRAM事業を統合し発足2002坂本幸雄氏が社長に就任2003三菱電機のDRAM事業を買収2009政府から300億円の公的資金注入を受ける2012・東京地裁会社更生法の適用を申請
・坂本氏が管財人として残留するDIP型再生が決定
・スポンサーにマイクロンを決定2013・東京地裁が更生計画を認可
・マイクロンの完全子会社になり、坂本氏は辞任
 「スポンサー選びは社債権者に対してどれだけ返済できるかが判断基準でした。管財人の弁護士が、マイクロンが最も良い条件を出してきたと判断したのです。マイクロンは2千億円での買収と約770億円の設備投資資金を出すと言ってきたのです。スポンサーを決めた後、海外の社債権者の一部から出た、マイクロンの買収価格が低すぎるなどとの批判は当たりません」
■マイクロン前CEOへの墓参り
 「マイクロンによる買収は最も良い選択肢だったと思います。従業員は、3年間は雇用が保証され、広島工場も子会社の秋田エルピーダ秋田市)も維持される。僕の主張をマイクロンのダーカンCEOは認めてくれました。亡くなったアップルトンさんがダーカン氏に『坂本とはあまり交渉するな』と言っていたみたいです。エルピーダの社長を退任し、残務処理にもメドが付いた8月下旬、僕は渡米してアップルトンさんの墓参りをしました。『おまえも草葉の陰からちゃんとサポートしろよ』と祈りました」
 日本の半導体メーカーは業績不振とリストラの連鎖に苦しんでいる。ルネサスエレクトロニクスは10年4月の会社発足後に約1万人が早期退職した。富士通でも約1600人が退職したが、パナソニックとの事業統合に時間がかかっている。これまで設計・開発から生産まで垂直モデルを貫いた日本メーカーも、投資負担が重い工場を維持する体力を失い、ファウンドリーに生産を委託する分業体制への移行が進む。
■40年間、一度もリストラせず
 「TI時代も含めて管理職になって40年ですが、僕は人を解雇したことがありません。これは本当に良かった。例えばエルピーダ従業員を100人リストラしたら、残りの3000人の士気も低下するわけです。退社した100人は会社を憎み、韓国などライバル会社に転職してしまうのです。僕は事業がうまくいかなかったら、他の会社に買ってもらいました。どんな古い工場でも世界中の会社を相手にして探せば、誰かが買ってくれるのです。今までそんな事例を数多く見てきました。日本の狭い社会の中で売却先が見つからないというのはだめです。リストラをすると費用がかさみ、将来の成長の足かせにもなります。リストラが漫然と受け入れられるようでは、日本の将来はないでしょう。従業員をないがしろにして厳しい状況を生き抜けません」
 「日本の半導体メーカーは生産をファウンドリーに委託する例が増えています。ファウンドリーでは最大手の台湾積体電路製造(TSMC)が圧倒的に強く、委託生産料も高くなっているようです。ファウンドリー1社が圧倒的に強いという構造では、工場を持たずに設計・開発に特化するファブレスメーカーになっても利益は見込みにくいのではないでしょうか。また、日本企業がファブレスを目指すなら、製品を大幅に絞り込み、会社の規模を相当小さくしないと成功は難しいでしょう」
 UMCのシニア・アドバイザーに就任し、自身のコンサルティング会社も設立した。今後も半導体業界に関わり続けていくという。
 「損益に責任を持つ仕事はもう終わりにします。僕は66歳になり、世界の半導体業界を見渡すと僕より高齢なのはTSMCのモーリス・チャンCEOだけですよ。残りの人生は、今まで僕を支えてくれたお客さんや会社に貢献したいと思います。来てくれと言われたら条件は気にせず、相談役などとしてアドバイスします。僕は50歳で会社を辞めてゆっくりするはずが、55歳になってエルピーダの社長に就き、10年がたちました。もう本当におまけの人生です」
(聞き手は相模真記)