藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

機械が優れていること。


もう日々の報道で"AI"と"自動運転"を見ない日はないくらいの過熱ぶり。

今さら「運転」というものを「いつまで人間がしているのか?」と強く思う。

航空機も船も電車もバスも地下鉄も、未だ「人」が介在している。
先日パイロットをしている人に「なぜ自動運転にしないのですか」と聞いたら明確な答えは返ってこなかった。
「自動運転に対応している(ハイテク)空港がないからかな」とも仰っていたが、だったら予算があれば「フルに自動化」へ向くということだろう。

一方、毎日のように自動車が「運転ミス」で犠牲者を出している事件は無くならない。

人の冒したミスには「なぜなのだ」という理不尽な感情が湧き起こるけれど、純粋な「機械のエラー」であれば、ある種の「感情の入らない諦め」が主体になるのはなぜだろうか。

人が人の命を頼んでする仕事、例えば運輸業とか、医療とかについては「精密な機械なみ」の正確さと、つまり逆に言えば「人間ぽさ」の入らない厳密さが必要なのではないだろうか。

その日によって「調子の良し悪し」とか、「感情の上下」とか、あるいは「単純作業ゆえのミス」などが発生する仕事は"人より機械"が向いている。

人が「人ゆえにできる仕事」と「機械のほうが向いている仕事」の峻別がこれからはどんどん進むに違いない。

コンピュータやAIが人の仕事を奪う、問いう声がいつもあるけれけれど、それはきっと「機械的なこなし方」の方が向いているということだろう。
そんなコンピュータやソフトによって、改めて人間が仕事を問われ、もっとクリエイティブなことに目を向けていくのではないかと思う。

自動化できる仕事は全部そうしていいじゃない?

自動運転車、運転手なしOK 米加州が改正案

2016/10/20 9:41
シリコンバレー=小川義也】米カリフォルニア州は自動運転車に関する新たな規制案をまとめた。運転免許を持った人間の搭乗を義務付けるとしていたこれまでの案を見直して、「運転手なし」でも公道での走行試験や商用輸送サービスでの運用を可能にすることを柱とした。州当局は意見をさらに集約した上で、2017年春ごろの施行を目指している。

 昨年12月に公表した規制案では、第三者機関による車両の安全性試験と認証を義務付ける内容だったが、今回の改正案では自動車メーカーによる自主的な認証を認めるとした。米運輸省は先月、自動運転車の開発や走行に関する初の指針をまとめた。州政府はメーカーに対し、米運輸省が提示した15項目の安全基準を満たしていることを書面で提示するように求めている。

 当初の規制案を巡っては、「ドライバーレスカー」の早期実用化を目指す米グーグルなどが強く反発した。今年5月に米フォード・モーターや米ウーバーテクノロジーズなどと設立した普及団体などを通じて、規制案を見直すよう要請していた。

 改正案では開発企業側の要望がかなり反映されたものの、米運輸省の指針と比べた場合、踏み込んだ内容が多くなっている。たとえば、走行データを記録する新たな装置の搭載や、実際に運用を始める前に最低1年分の公道での走行試験データを提出することなどを義務付けている。

 19日に開いた公聴会では、同州で自動運転車の開発を進める米ゼネラル・モーターズ(GM)や独フォルクスワーゲンなどから、さらなる見直しを求める声が相次いだ。

 公聴会には米運輸省の指針をとりまとめた同省高速道路交通安全局(NHTSA)のマーク・ローズカインド局長も出席。「カリフォルニア州の取り組みは他の州のモデルになる」と述べ、透明性の高い形でのルール作りに期待を示した。