藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

手続きの国。

日本電産・永守社長が残業ゼロを目指すという。
"人の倍働く"と言われた経営の雄の見事な変節。
いつもながらの意思決定ぶりだ。

で外国企業と仕事をしたり、また外国人が日本の企業を見て驚くのが「意思決定の遅さ」と「手順の多さ」である。
一見「誰もが意思決定しないつもり」に見えるらしい。
りん議に象徴される決済システムはまるで四コマ漫画のようではないか。

こうした「責任の順送り」とか「手続き主義」は日本人特有の慎重さにあるのだと思っている。
空き巣とか、使い込みとか、経費水増し、なんかが一度発生すると「管理者は誰だ」「犯人は誰だ」となる。
そして「二度と起きないためにはもう一つ手続きを増やしてチェックすべきだ」という話になる。
そりゃ必要なチェックもあるだろう。

問題なのは、一度発生した手続きは容易になくならないことにある。

手続きを合理化して業務を改善しても、目にはすぐに見えにくい。
一方、もし問題が起きたらたちまち「言い出しっぺの責任問題」になるだけだ。
口出すだけ損をするってわけだ。

手続きを減らした人が賞賛される風土が必要なのだと思う。

日本電産の永守社長 残業ゼロを目指す真意

 「長く働くこと」を是としてきた日本電産永守重信社長が2016年秋、「2020年度までに残業ゼロを目指す」と発表、世間を驚かせた。その決断の経緯はもちろん、ビジネスパーソン、そして日本企業が今後進むべき道について聞いた。(聞き手は泉恵理子日経ビジネスアソシエ前編集長)

──日本電産永守重信社長と言えば、「誰よりも長く働く」ことを誇りとし、組織の強みとして走り続けてきた経営者として知られています。その永守社長が2016年秋、「2020年度までに残業ゼロ企業を目指す」と発表された。きっかけは何だったのでしょう。

(写真:太田未来子)

 180度方針転換したのには、経営として非常に合理的な理由があります。そしてその前提として、2015年秋以前に当社が「長く働くことを是としてきた」ことにも相応の理由があります。まずその経緯からお話ししましょう。

 私は京都の農家に生まれた、6人兄姉弟の末っ子です。父を早くに亡くし、兄夫婦に育てられました。職業訓練大学校を出た後に6年間のサラリーマン生活を経て、「いずれ必ず超精密小型モーターの時代が来る」という信念から、1973年に会社を立ち上げようと決心した。

 起業の決意を母親に打ち明けると、母は強く反対しました。「おまえが事業に失敗して首でもつらないか心配でならない。何かあれば親戚中に迷惑をかけることになる」と、なかなか首を縦に振りません。

 「どうしてもやるというなら、私が死んでからやってくれ」とまで言われましたが、当時70歳過ぎだった母は94歳まで生きました。言葉通りに待っていたら日本電産はできませんでしたね(笑)。今すぐやりたいという意志を曲げなかった私に、母はこう言いました。

 「どうしてもやると言うなら、人の倍働けるか。私は人の倍働いて、財を成した。おまえにもその覚悟はあるのか」

 私は「覚悟はある」と答えた。

 確かに覚悟はしましたが、母の言葉の意味は創業してようやく実感できました。自宅の納屋を改造して、同志を3人集めてのスタート。世界という大海原を目指して「日本電産」という立派な社名を掲げました。しかしふと周りを見渡せば、松下電器産業(現・パナソニック)、日立製作所といった「巨人のような大企業」が立ちはだかっている。

 若者4人の「名もない会社」が勝つには、どうしたらいいか。ヒト・モノ・カネの資源もない。でも、1つだけ大企業とも全く同じ条件で持てる資源があることに気づきました。1日24時間という「時間」です。時間を最大限に使うしか、勝てる方法はないと思った。

 松下電器が1日8時間働くのなら、うちは倍の16時間働こうじゃないか。残りの8時間は、最低限の睡眠と食事に充てる。たまには風呂にも入らないといけない(笑)。土日も休まず働きました。4人とも若くて体力があったし、創業の熱意に燃えていた。だからできた。

 人より倍働いた努力が実って売り上げが伸びてくると、会社の成長に伴って、働く時間は14時間、12時間と少なくなっていきました。

 2000年代に入ると、海外企業の買収を積極的に行うようになり、「海外の働き方」にじかに触れる機会が増えました。欧米のオフィスでは、17時になると誰もいなくなる。夕方から会議をしようと言っても「今日は金曜日だから」と嫌がられる。

 2010年代には米エマソンなど一流企業からも買収しましたが、さらに厳格な環境を目の当たりにしました。ドイツ企業も残業をしない。北欧はさらに進んでいるという。夏は1カ月くらい平気で休む。これでどう稼ぐのかと思いましたが、利益はしっかりと出している。

 調べると、労働生産性(従業員1人当たりの付加価値を金額にしたもの。労働の効率性を測る尺度)で北欧諸国は上位にあり、日本は20位そこそこ()。「日本電産が1兆円企業になったら、働き方を劇的に変えよう」と決めたきっかけは、世界の働き方を目の当たりにしたからです。2010年のことでした。

OECD加盟諸国(35カ国中)の日本の労働生産性は、2010年で22位、2015年でも22位(日本生産性本部労働生産性の国際比較 2016年版」より)

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■生産性を世界トップレベルにする

──日本の産業界で働き方改革の議論が本格的に始まった時期より、ずっと早い決断だったということになります。

 「そうしなければ世界で勝てない」。そう確信したからです。

 10兆円企業を目指していますが、欧米並みの生産性を実現しなければ、それは夢で終わる。売り上げ1兆円を達成したのは2015年3月期でしたが、それから約1年間かけて残業をどう減らしていけるか、試行する期間を設けました。

 実行してみて、それで利益が上がるかどうか、まずはやってみようと。この時、いきなりスローガンを打ち出すのではなく、社内で検証して結果が出たら世間に公表する、ということに決めたのです。

 結果はすぐに出ました。当社の平均残業時間は月30時間程度でしたが、上長による定時帰宅の声掛けといった“すぐにできるアクション”で、あっという間に残業時間は3割減になった。さらに社内改革を進めて、残業時間は今期までに半分に減っています。

 残りの半分を減らすのは簡単ではありませんが、時間をかけて本気で取り組めば、不可能ではない。「いける」と確信できたので、2016年9月期の中間決算発表で「2020年までに残業ゼロ」を宣言したのです。みんなひっくり返っていましたね(笑)。「朝まで働け」なんて豪語していた経営者が、180度違うことを言い出したわけですから。

──大胆な方針転換に、一番驚いていたのは誰ですか?

 妻です。「社内の誰よりも働く」と、早朝6時半には家を出て深夜に帰っていた私が、急に早く帰ってくるようになった。「あなたどうしたの。そんなに早く帰ってこられたら困るわよ」と迷惑がられました(笑)。仕方がないから初めのうちは、用もないのに書店に寄って時間を潰したりして帰っていました。そのうち妻も私の思いを理解し、納得してくれましたが。

■競争力が高まれば利益が増え、給料・ボーナスも上がる

──従業員の反応は?

 否定的なものもありました。生活の不安からです。

 最初に残業削減の方針を社内に発表した時、投書箱には不安の声も集まった。「残業代も収入のうちと見越して住宅ローンを組んだ。残業ゼロになったら生活が成り立たなくなる」と。

 そういう声が上がることは、予想していました。私自身も20代のサラリーマン時代は、基本給とボーナスには手をつけずに起業資金として貯金し、残業代で生活していた。だから、気持ちはよく分かります。

 「安心していい」と、私は全従業員に言いました。「当社が目指すのは残業ゼロではない。残業ゼロは手段であり、目的は『生産性を世界のトップレベルまで高めること』だ。その結果、競争力が高まれば、利益が増える。利益が増えれば、給料もボーナスも上がる。むしろ、君たちの収入は上がるのだ。残業代で稼げる額の比ではない」。こう説明すると、皆安心したようでした。

 従業員の不安を払拭してから行ったのは、「アイデアの募集」です。すると、800通を超える意見が集まった。これまで行った意見募集の中で、最も反響が大きかったのです。素晴らしいアイデアには表彰をし、実現可能な改革はすぐに実行することも決めました。

 一番多かったのは、管理職についての意見でした。管理職が部下の残業の実態を把握しきれていないという不満です。次に多かったのが反省でした。当社は海外との取引が多く、営業担当者の中には英語力を身につけている人もいますが、技術者はそうとも限らない。

 「お客さんから製品の問い合わせが来ても、スペックの詳細について英語で説明できない。語学力を高めれば生産性は上がるはずなので、会社のサポートが欲しい」。そんな要望が多かった。

 従業員も必要性を感じている語学力のトレーニングについては、本社敷地に隣接する場所に大規模研修施設を新設し、2017年4月に稼働させます。語学だけでなく、マーケティングや財務、経営といった専門知識から文化教養まで、幅広い分野で自己研鑽ができる環境を整えた。800人収容できる大ホールには世界中から高名な講師を呼べますし、そこでの講義を、グループ内のTVネットワークで配信するシステムも導入しました。

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──ほかにはどんな改革を?

 管理職が部下の残業削減を促すための施策として、残業が必要な場合はその日の朝礼で「なぜ残業が必要か」を発表する事前申告も取り入れました。例えば、「明朝までに必要な部会用の資料作成」が残業の理由だったとしましょう。チーム内で「その資料は明朝に間に合わなくてもいい」と合意が取れれば、残業は減ります。

 効率よく働いて早く仕事を終え、余った時間でスキルを磨く。社員の能力もモチベーションも高まり、会社も成長していくという好循環が生まれるはずです。

■「働き方改革」実現には投資が必要

──残業時間削減で浮いた人件費は、どう使うのでしょう。

 これについても、明確に打ち出しています。半分はボーナスという形での「社員への還元」。もう半分は「教育投資」です。今申し上げた研修施設が、これに当たります。米国では社会人向けに大学が夜間コースを設けることが一般的ですが、日本ではまだそうした環境が追いついていない面がある。

 だから企業が、学びの場を用意するのです。17時半までエンジニアとして働き、18時からは経営を学んでMBA経営学修士)を取得する。そんな生活が可能になる環境を提供し、より高度な能力開発に結びつけていきたいと考えています。

──働き方改革には「投資」が必要ということでしょうか。

(写真:太田未来子)

 当然です。カネも出さずに改革なんてあり得ません。

 確かに、支出せずともできる「小さな改革」はたくさんあります。例えば、会議の時間設定を60分から45分に、30分を25分に変える。弊社もこうした小さな改革で、残業削減効果を上げました。工夫はまだまだできるでしょう。ただ、そうした工夫(小さな改革)だけでは、限界がある。

 先ほどお話しした研修施設のほか、グループ内で共有するデータのクラウド化のために100億円を投資しました。データ解析のためのスーパーコンピューターも数億円かけて購入した。その結果、計算や分析といった業務にかける時間が、50分の1になりました。

 こうした働き方改革のために、2020年までに1000億円投資することを決めています。残業ゼロの実現には、カネがかかります。かけた額を、どれだけの時間で回収できるか。これを精査することも重要だと思っています。

──「女性活躍推進プロジェクト」も立ち上げられました。この狙いと具体的な施策を教えてください。

 会社の成長に伴い、優秀な女性が大勢入社してくれるようになりましたが、管理職を目指す女性が少なかった。これが課題の1つでした。

 その理由を本人たちに聞いてみると、「長く残業できないから管理職になりたくない」と。

 そうだったのかと膝を打ち、まずは積極的に女性を管理職に登用することにした。人事部長も今は女性です。女性自らアイデアを出してもらい、それを実現することで、働きやすい環境を作ろうと考えた。

 出てくるアイデアを聞き、そのすべてにOKを出しました。みな驚いた顔をしていましたね。

 在宅勤務、シフト出勤、直行直帰、時間単位の有休取得。これまで一切禁止していたものをすべて許可した。在宅勤務にする場合、カメラ付きのパソコンを支給する費用が発生したりと出費がかさみますが、これも必要経費です。導入可能な職場から試して、徐々に活用を広げていく予定です。

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■初めに着手したのが「CEO改革」

──ご自身自ら働き方改革を実践されているのでしょうか。

 もちろんです。初めに着手したのが私自身の「CEO改革」だったと言っていいでしょう。従業員の声を集めた時に目立ったのが「上司が帰らないから自分も帰れない」という不満でした。私はこの会社のトップですから、率先して早く帰らないといけない。

 2年前までは誰よりも早く出社し、人けのない秘書室のエアコンのスイッチを入れてから仕事に取りかかるのが日課でしたが(笑)、最近はあまり早い時間に会社に来ないようにして、どうしてもという日は裏口からソーッと入っています(笑)。

 海外出張が多いのでどうしても週末に出社せざるを得ない時があるのですが、その日は運転手を呼ばずに自分で運転し、やはり裏口からソーッと入ります(笑)。帰宅してから部下に指示メールを送ることも、緊急時以外はやめました。

──早く帰って何をされるのですか。

 自宅にトレーニングジムを作ったので、そこで体を鍛えています。食事を取った後に運動してから床に入ると、実によく眠れる。朝起きると、頭の中が冴えています。午前中の仕事の能率が格段に上がる。

 仕事のやり方も日々、見直しています。稟議書の決裁も、これまでは一つひとつボールペンでコメントを書いていましたが、似たようなことを繰り返し書いていることが多いと気づいた。分析してみると、7割が「見積もりの金額が高いのでネゴしなさい」といった、頻繁に使う10パターンくらいのコメントに絞られました。それを判子にして押すようにしたら、それだけで20分の作業が3分になった。

 資料も原則、ペーパーレス。朝から晩まで終日コースでやっていた経営会議も、昼で終わり。出席者も本当に発言する必要がある人だけに絞り、参加者を3分の1に減らした。長年やってきた仕事のやり方の「無駄の多さ」に、がくぜんとする日々です。

 私たちの会社も1兆円企業になった。世界で勝てる10兆円企業を目指すなら、変わらなければならない。脱皮しない蛇は死ぬのです。

──これから評価されるのはどんな人材でしょう。

 朝方3時まで働いたことを自慢する時代は、もう終わりです。早く帰り、結果を残す人が評価される時代になるでしょう。成果主義という言葉はあまり好きではありませんが、「結果責任」がこれまで以上に重視され、評価に結びつく時代になっていくと思います。

 ですから、働き方改革は決して甘いものではありません。「17時半」で勝負がついて、延長戦はない。「真に厳しい競争社会」になっていきますから、力をつけていない人はつらいでしょう。

──結果で評価する制度作りの難しさに直面している企業も多いようです。

 確かに難しい。特に数字で結果が出にくい間接部門での評価システム作りには、時間がかかると思っています。欧米で成果主義が成り立っているのは、終身雇用を前提としない緊張感が労使間で共有されているから。日本でも同じような成果主義を導入するとなると、労働基準法の改正から着手しないといけない。フレックスタイム制度が軒並み失敗したように、海外でうまくいっているからといって日本でうまくいくとは限りません。

 当社の場合、グループの従業員11万人のうち10万人が外国人ですから、彼らのノウハウの中で吸収できることはうまく吸い上げながら、日本に合うシステムをさらに探っていきたいと思っています。

 日本型の評価システムは転換期に来ていますね。欧米では組織管理する「マネジャーコース」だけでなく、専門性を追求する「プレーヤーコース」がキャリアの選択肢になっていて、給与格差も日本ほどない。「出世=管理職になること」という給与体系を変えることも、生産性向上に関わることです。

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日本電産の3大精神に変更はない

──これほどの改革を掲げながら、ご自身に戸惑いや迷いはないのでしょうか。

 今のところ増収増益でうまくいっていますから、迷いはありません。今後、経営の数字にマイナスが出るようなことがあれば立ち止まるかもしれませんが、実現可能かどうかの検証を1つずつ行いながらソフトランディングでやっているので、うまくいく自信はあります。

 私の言うことが180度変わったので、「では、過去の永守さんのやり方は間違っていたということですか」と聞いてくる人がいますが、間違っているはずがありません。

 極めて正しくやってきたからこそ、1兆円企業になれたのです。1兆円企業になり、10兆円企業を目指すからこその大改革なのです。

 もし私が明日、ゼロから会社を立ち上げたとすれば、また1日16時間働くでしょう。ですから、誤解のないように強調しておきます。私が今始めようとしている「働き方改革」は、一定規模以上の企業だからできることです。同じことを町工場がやれば、確実に潰れます。企業の成長過程には、時間で稼がなければいけないステージと、生産性を高めて稼ぐステージが明確に分かれる。私はそう思っています。

──日本電産の3大精神として有名な「情熱、熱意、執念」、そして「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」の変更は?

 変更はありません。経営精神の根幹は、全くブレていない。繰り返しますが、あくまでゴールは「生産性向上による競争力の強化」。働き方改革は手段であり、目的ではない。この点は、世の中の多くの人が誤解しているのではと危惧しています。

──真に競争力が問われる時代、「最強の働き方」とはどんなものでしょうか。

 「プロフェッショナルであること」でしょう。特に35歳くらいまでは、何か1つ、「これだ」と思う専門性を磨き、強みにしていくことに注力した方がいい。私自身も20代は、ひたすらモーターの研究開発に没頭し、それが今の発展の礎となった。

 「若い頃にいろいろなことを経験させてから、専門性を深める」という考え方が日本には根強いようですが、私は逆がいいと思っている。まず深掘りしてから、広げていく。海外ではそれが主流です。

■人生のゴールは人それぞれ。結果は若い時の選択次第

──若い人にメッセージを。

 「若い時にしっかりと自分と向き合い、長い人生のキャリアプランを立てるべし」と、強調して伝えたいですね。「満足できる人生とはどんな人生なのか」を明確に描き、それを実現させるための計画を、きちんと立てること。そして、自分で選んだ道には責任を持ってほしいと思います。

 一番いけないのは、行き当たりばったりで仕事を変え、目先の欲求を満たすために好きなこと、楽しいことばかりを選択し、結果として何も身につかずに転落していってしまうことです。最初からそういう人生を好み、選び取っているのならいいでしょう。しかし、ただ流されているようではいけない。その結果、人生の後半になって「こんなはずじゃなかった」と悔いても遅いのです。そうなっても、自分が選んだ道なのだから、愚痴を言ってはいけない

 70歳を越えて同級生と集まると、「永守はいいよなぁ。こんなに成功して」と言ってくる人がいますが、「冗談じゃないよ」と笑って返すんです。「若い頃、俺がトラックにモーターを積んで必死に運んでいた時、おまえは道路沿いのテニスコートで彼女と仲良くやっていたじゃないか」と。私はその頃、デートができたとしても夜中の2時(笑)。携帯電話もない時代ですから、電報で待ち合わせするような生活でした。

 歯を食いしばって働かずに青春を謳歌しておきながら、人生の後半まで悠々自適でありたい。それは、無理な話です。年を取った時に、大雨の中バス停でじっとバスが来るのを待つ人生を選ぶのか、黒塗りの車が迎えに来る人生を選ぶのか。それは、若い時の選択次第なのです。

 人生のゴールは人それぞれで、豊かな生活や成功を望まないのであれば、それはそれでいい。ただ、後から文句は言ってはいけない。今、周りの同世代を見渡すと、努力しなかったことを後悔する人はたくさんいます。しかし、「こんなに頑張ってきたのに」と、悔いる人はほとんどいません。「国は人を裏切り、人は人を裏切るが、努力だけは人を裏切らない」。これは本当にそうだと実感しています。

 若い時はなりふり構わず一生懸命働いてもいいと、私は思う。そう言うとまた「ブラックだ」なんて言われそうですが、「一生懸命に」働くことはそんなに悪いことではない。自分のやりたいことを見極めて、自分の力が伸びると感じられる環境には、給与の額など気にせず身を置いて、一直線に頑張ってほしいと思います。

 自分と真剣に向き合って、「今どんな経験が自分に必要なのか」を日々問いながら、毎日を過ごす。「これこそ我が人生」と思える日々を過ごしてください。

日経ビジネスアソシエ 2017年5月号記事を再構成]