藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

本当の住みやすさって

さすが糸井重里
人々の一歩上を行く感性というか、センスというか。(で理解できないほどには行き過ぎない)
世の不動産屋連中も一本取られた! という話。
どの街にも嫌な奴も、筋モンも、泥棒だっているだろう。
ごく普通だけど「人見知り」もいるし、お節介なオバサンも、笑い声の大きなおっさんもいるだろう。

先日、若い頃に住んでいた吉祥寺に行ったら「身なりのいい人」が多いのに驚いた。
平日のランチに一人で、赤いチェック柄のベストにショルダーポーチ、中型犬をテラスにつないで。
あとはあまり喋りすぎない音大生(かオケ部)のグループ。
直感的に「こんな街なら住んでいて感じがいいだろうな」と思ったことを思い出した。
こういう「住人の性質」はなかなかこれまで定量化してこなかった。

よくある「住みたい街ランキング」のようなハードや機能面での指標ばっかりで「街の暖かさ」なんてのは指標化されてこなかったけれど。
その街の「あいさつ度」とか「めいわく度」とか「ニコニコ率」とか「町内コミュニケーション量」とか、「街のソフト面」がいよいよ定量化されてくる時代が来るかもしれない。

大都市部の今の人気エリアを抑えて、下町エリアの良さが一気に表出するかもしれない。
いやむしろ地方都市の方が、圧倒的にそういう面では勝っているのではないだろうか。
「駅近」よりも「コミュニティで選ぶ」という時代が来るかもしれない。

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン
・歩いていける距離に、
おいしいパン屋さんができたら、
そのエリアの不動産価値はずいぶん上がると思う。
でも、おそらく現実には、そんな計算はされないだろう。

さらに、おいしいパン屋さんだけでなく、
感じがよくてコーヒーのおいしい店があったら、
そのエリアの不動産価値は…という計算も、
おそらく本職の人たちはしないのだろうな。

高級というわけでもないけれど身ぎれいな服装の、
軽いあいさつをかわしてくる人が多い地域だったら、
そのあたりの地価は、少しくらいは高くなるだろう。
とも思うのだけれど、そんなことは計算されないな。

街や、それぞれの建物に暮らす人々が、
なにか共同でコストを出しあわなきゃならないとき、
少しくらいじぶんに負担がかかっても、
たがいに寛容でいられるような人ばかりだったら、
そこの不動産価値は、相当に高くてもいいよね。
とも思うけれど、そういうことも計算できないだろう。

いまでも、どれくらい人通りがあるかだとか、
近所に病院があるか、近くに学校はあるか、
スーパーマーケットはあるか駅からは近いかといった
「必要条件」を軸にして、
土地の価値が決まっているのだろうとは思う。
そうでないものごとは「個人の感覚」なので
計測しようがないから勘定に入れないのだろう。

でも、ほんとの「そこの地域の価値」って、
おいしいパン屋さんがあることだとか、
近所の人たちのごきげんだとかのほうが、
大事になったりしているのではないだろうか。

ぼくが生きてるうちにはできないかもしれないけれど、
ネットの世界でも、リアルな世界でも、
ほぼ日がめざすような「ほぼ街」というようなものを、
育てていって、そこで暮らしてみたいものだなぁ。
そういう思いは、わりと、ずっとある。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
まず、パン屋さんです。あとは、おだやかな住民かなぁ。

昨日の「今日のダーリン」を読み逃した方はこちら。