藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

保険も合理的に。

自分でも見えてなかった「自分の健康状態とこれから」が、データ手動で明るみに出る。

「健康」が、個人の信用情報や価値で大きな比重を占め、様々な機関が自分よりも自らの健康やおおよその寿命まで把握してしまう。

そして個人にとっては、信用力を高めるため、将来かかりそうな病を予見し、発病を防ぐよう励むことが半ば義務のようになる。
病気で苦しむよりいい半面、どこかでデータに縛られ、生活の大枠が定められてしまうようにも感じる。

つまり「健康管理の自己責任」だ。
自ら自堕落に酒を飲んだり、メタボになったりしたら「保険」も高くなるのは道理である。
突発的な病気にこそ役に立つ保険だが「日常生活の怠り」は別物になりそうだ。

数値データに囲まれて、対策を取りつつ「できるだけ健康寿命を伸ばす」のがこれからの老人の義務になるのだろう。

シビアな「見える化」の時代でもある。

体重減らして保険料安く 第9部 老いも悪くない 健康寿命を延ばす

人生はいつも順風満帆とは限らない。思わぬ病気やけがで入院したり、介護を受けるようになったり。ライフイベントやリスクも人それぞれだ。超高齢化とデジタル化が同時に押し寄せる日本では、万が一への備えやお金に対する考え方も変わるだろう。

住友生命が開発中の保険商品はスポーツジムで運動すれば保険料が安くなる。ウエアラブル端末で運動量などを管理する仕組みを想定している(東京都墨田区)=浦田晃之介撮影

たとえば保険。運動や食生活を日々心がけ、健康の増進に取り組む人の保険料を安くする。そんな動機づけを契約者に与え、意識や行動の変化を促そうとする保険商品が日本にもお目見えすると耳にした。忙しさを言い訳に不摂生な生活を送る僕(34)は開発の最前線をのぞいてみた。

「契約者が健康になるよう自ら行動を変える。これは画期的な試みですよ」。近く発表するというサービスに自信をみせるのは、Tシャツにジャケットを羽織った姿が健康的な住友生命保険の小沢正樹さん(32)。若手を中心に自由に意見を出し合い、新たなサービスを練り上げる。

年齢や性別が同じだから一律の保険料でいいのか。生活習慣が違えば体の若さは異なるはず。一人ひとりに目を凝らしてリスクを正確につかもう――。それが出発点だ。

腕に巻いたウエアラブル端末から毎日の歩数や心拍数を集め、健康診断書にある血圧や肝機能といった数値の変化と突き合わせれば、生活習慣病を患う可能性がある程度読めるという。そして多くの場合、運動や食生活を改め、喫煙やアルコールの過剰な摂取を控えれば、病気に悩ませられる可能性はだいぶ減る。

小沢さんは集めたデータをどう解析すると病気の発症率を正確にはじき出し、どんなインセンティブがあれば人々の意識を変えられるのか考える。ビッグデータや行動科学に詳しいIT(情報技術)のスタートアップ企業などとの交流で助言をもらっている。

平均寿命が延び続ける日本。およそ50年後の2065年には男性が84.95歳、女性は91.35歳となり、15年時点から4年以上長くなるという。厚生労働省によると、平均寿命から健康寿命を差し引いた年数は男女ともに10年前後。できるだけこの時間を短くすることが長寿化で世界の先を行く日本の大きな課題だ。

損保ジャパン日本興亜ひまわり生命保険では4月から、本人が亡くなると遺族に毎月の生活費を支給する保険で、身長と体重から割り出すBMI(肥満度)などが改善したら保険料を最大3割安くする試みを始めた。

「体重をあと5〜6キログラム減らして保険料を抑えたい」。こう話すのは、5月にこの保険に入った不動産会社を経営する山口泰司さん(49)。身長174センチメートル、体重82キログラムで毎月の保険料は7千円近くだ。保険加入を機に自宅で筋トレを始め、飲酒も控えたところ効果が出てきたと笑う。

生命保険だけではない。自動車保険では、スマートフォンスマホ)など車内の通信端末で急発進や急ブレーキ、運転操作から特性を点数として表し、保険料に反映させる動きが活発になってきた。安全運転を心がけるほど懐が温まるというわけだ。

さらにデジタル化が進むポスト平成の時代。SOMPOホールディングスでデジタル戦略を統括する楢崎浩一・常務執行役員(60)は、ただ保険金や給付金を支払うだけという従来型の保険は意味が薄れると説く。大量のデータから契約者のリスクを読み解き、一人ひとりに見合った保険料を値付けし、健康や安心へ導く。保険会社というより、コンサルタントのような世界だ。そんな世の中が来れば、急膨張する社会保障費も少しは抑えられるかもしれない。

「健康」が、個人の信用情報や価値で大きな比重を占め、様々な機関が自分よりも自らの健康やおおよその寿命まで把握してしまう。

そして個人にとっては、信用力を高めるため、将来かかりそうな病を予見し、発病を防ぐよう励むことが半ば義務のようになる。病気で苦しむよりいい半面、どこかでデータに縛られ、生活の大枠が定められてしまうようにも感じる。

運動しても体質的に数値が改善しにくい人や、数字に追われる煩わしさから逃れようと健康管理の枠組みから飛び出す人がいるかもしれない。そんな人が不利益を被ることはないだろうか。ヒトの意志の弱さを補う仕組みはありがたいが、一抹の不安もよぎる。適度な距離を探る試行錯誤が続きそうだ。